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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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皆と話が出来た。そんな日は、気分がいい。9月最後の月曜日である。

毎日日記を書くことに疲れることはないが、自分に近い人が僕をどう思いこのサイトを通して何を伝えるのか知りたくなって、代理日記と称し今までに4月8日と8月1日に書いてもらった。これからもまた何かの機会に書いてもらいたい人がいるが、今のところ皆さん忙しいらしくレスポンスはない。多分どう書けばいいのか、色々考えるゆえのことだろう。気長に待ってみる。

個人サイトを持っているラグビー選手に依頼を受け、いや勝手に送りつけたモノがある。代理コラムだ。幸か不幸か僕は、その内容はともかく書くことには苦にならない性分で、ふと書きたくなった。以下はその文章である。今日の日記はコレで、僕のまた違う視点を感じてもらえれば嬉しい。

『 彼と出会ったのは6年ほど前のことである。正確に言うとそれは一方的に出会ったということになる。多少の羨望の眼差しと、また少しの嫉妬にも似た想いの中で、また「出逢う」事になるとはその時点では全く思いもしなかった。

京都の西京極競技場は、僕が学生時代のスカスカの芝生とは違い、全てが新しくなっていた。僕の母校大阪体育大学と同志社大学の試合。今はずっと優勝争いに遠ざかってはいるが、体育大はその当時、大畑大介擁した京都産業大学と、華々しい歴史のある同志社大学に近い位置にいた。応援にも力が入る。

試合は残念な結果に終わり、後輩達を労おうと外で待っていると「キャァ〜」という黄色い声が上がる。輪が出来ていて、そこにサインやプレゼントをもらう彼が立っていた。髪の長いチャラチャラした若者に見えた。

多少の偏見はある。学生当時は関東、早稲田や明治、慶応のサラサラヘアーのスター選手に憧れたし、伝統の同志社大学にもそんな流れはあった。体育大学はというと、入学したとたんに丸坊主。生まれて初めての屈辱を味わい、追い打ちを掛けるように「体大、よぅ頑張った!」と黄色い歓声ならず「わしゃぁ〜昔からフォワードでガツガツ行くラグビーが好きやねん」的オヤジ達の激励、肩にビシバシもみじパンチを受けていた。実はイヤだった。

彼が神戸に、そしてこの店に来たのは平成12年2月23日。社会人ラグビー選手として京都のチームから、神戸にやって来ることが決まった日のようだった。僕の二つ年上、髭のH氏も同席していたのでそれは解った。当時のシステムで、移籍先に一年間は公式試合に出られない中の決断だったから、このチームには魅力があったのだろう。彼も、より高い場所でのプレーを望んだんだと思う。

話してみて解ったのは、ラグビーが好きなことと、熱く語ること、実は人間くさいということだった。その断片だけ見れば華やかな姿も、それは有名著名人だって変わりなく人間である。「チャラチャラ」感は、もうなかった。

平成13年8月24日。彼が初めて店に来てから1年半経って、やっと一人でやって来た。そして前よりも色々話した。僕と似ているなと思った。しかし一回りくらい年下の彼の今がコレだから、僕の歳になったらどうなるのだろうと余計な心配もした。それから二年が経っても変わらない彼だから、多分あの日見た長髪の彼も今と同じくカッコイイけれど、「人として」たんだと感じた。

熱く語り人を想う、今でも平尾剛史は平尾剛史なんだと思う。

(志賀敏哉 39歳独身 BAR志賀 / 家主) 』

※最後の名前のところは『彼』になってたんだけど、ホントはこう書きたかったのでココでは書きました。しかし平尾剛史よ、「語りすぎると、婚期は遠退く」ことになるかも知れないから気を付けよう。僕のように……。


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