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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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夜は涼しい神戸に、夏も梅雨も忘れる一時である。

神戸にいると夏の風物詩を感じることが少ない。須磨海岸の海開きはもう済んでいるだろうし、メリケンパークの花火大会もまたあるのだろう。どこかで書いたように、神戸には「神戸まつり」と称する祭りがあるが、それが何のことで、いつからいつまで行われるのか明確に説明してくれる人に出会ったことがない。京都は祇園、大阪は天神、JR三都物語の意図的なプロモーションに作られたかに見える「神戸まつり」を、根付く文化として創り上げるべきなんだと思う。

で、タイトルにあるように「祇園祭」である。宵々山、宵山、そして17日の本番。7月のこの時期には、多くの観光客が京都を訪れ、メディアも一斉に取り上げる。僕は神戸にいて、いつもこういうカタチで故郷・京都の風物詩を知る。じゃあ行きたいか(帰りたいか)と言えば、そうでもない。元来人の多い場所が苦手な僕である。今も昔も、人の多いところに「集まる側」ではなくて、それを「迎える側」の方が性に合っている。(「志賀」には多くの人は集まらないが)

せっかくタイトルに書いて、祇園祭に行ったことのある人もない人も、「へぇ〜、京都の人が考える祇園祭ってそうなんだぁ〜」と納得させたいところではあるが、実は僕は生涯「集まる側」としてそこに立ったことが一度しかない。>>>去年7/17日の日記を参照しても、祇園祭については触れていない。今見たが、なかなかよくまとまっている日記だ。この頃は巨人が首位で折り返していたことが解る。しかし、かなりくだらない。

では祇園祭で、あの東西メインの四条通に並ぶドリンク売りをやったかと言えばそうではない。今から思うと、あの体験はちょっと幻想的だった。晩年の黒沢映画か、最近では「 バニラスカイ」にもこんなシーンがあったな………。

20年ほど前から僕は、学生時代ずっと木屋町三条辺りを中心にバイトしまくった。ディスコのホールもやれば、カフェバーでドリンクも作る。もう死語となってしまったそれらの店に、いつも僕は「迎える側」だった。とにかくその時代に出会った人が面白かったし、今でも繋がりは色褪せないでいる。「強烈な人」がたくさんいた時代だった。今では、僕なんかが「ヘンコ(偏屈)」なんて言われてしまう。絶対個性が少なくなった時代だ。

祇園祭は稼ぎ時。京都の街の店は「祭り価格」になる。コーヒーが1000円でも人は入る入る。いつもその時期、僕はバーで働いていた。メイン通りから外れていても、人の波は絶えない。それがとても楽しかった。若かったな、あの頃は。そして、僕等には普通の体験が、今では贅沢な思い出として残ってる。

僕の祇園祭の思い出は、いつも誰もいない明け方の四条通を自転車で走ることだった。少し靄(もや)が掛かったあの通りは、規制のため車が走ってない。鉾が置いたままの通りもある。祭りの喧噪が凪となり、一人もしくはバイト仲間数人の「僕等の祇園祭」が始まる。アスファルトとそれほど高くないビルに紛れて存在する鉾の間を自転車で横切る。時空を超えた不思議な空間だった。もしあそこに朝方行く機会があれば、人のいない四条通を歩くのも一興である。

しかし鉾にはお手を触れぬよう。
ルールを守らないと、歴史と文化に失礼だ。


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加納町 志賀とはどんなヤツ?
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