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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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雨が降る。台風の影響のある様子、神戸である。

さてさて、皆さんは初めての報酬を戴いた日のことを覚えているだろうか。僕の記憶が確かならば、小学校の時に牛乳配達をしたのが最初だったと思う。しかしこれは、仕事と言うものとはほど遠い記憶だ。高校の時に初めて給与明細なるものをもらった。植木のリース業の補助で、祇園や木屋町を飛び回った。暴力団の本家で偶然に中学の同級生に出会い、話し込んで怒られたこともあった。そりゃそうだ、僕等の歳はまだ18歳だった。まだ周りも気にしない若さがあった。そしてもらった一月分の給料で時計を買った。それがあの時計だった。>>>(5/20「復活した、ジウジアーロ」参照) 今日は、そんな話だ……。

昨日の日記文末で書いた「素敵な写真家とスタイリスト」について書く。

深夜、時計の針が1時半を指した頃、ピーッとカードキーの音がして、明らかに個性の塊を感じさせる面々が入ってきた。金城さんご一行である。

お連れの男性お二人について家に帰ってサイトを探ってみると、とんでもない仕事量、メジャーである。中田ヒデと仲良しで写真を撮り続けてたり、SMAPの写真集を撮ったり、雑誌の表紙は紹介しきれないほど担当している写真家。松島智子(それはライオンに噛まれた人)基、松島菜々子のCMや雑誌ENGINEのスタイリングを手がけるジャイアンというあだ名のスタイリスト。とかくそのメジャー系がクローズアップされそうな中、僕は彼らと話をした。

スペースの関係もあるし、彼らとはまた次の機会に話し込むことになりそうだから、今日はサラッといく。その写真家の初めての仕事が高校の時。上田正樹の「悲しい色やねん」のジャケット撮影だったそうだ。その唄は僕の大学時代に一世を風靡して、カラオケレパートリーにもなった曲である。なんとその時の彼のギャラが5000円だったそうだ。

20年近く前の貨幣価値にしても、そのギャラは安すぎる。しかしその後の上田氏との付き合いや、メリットを求めない純粋な関係で、彼は地位を得た。今ではMOMA(NY近代美術館)に4点の作品が保存されている。どんなに有名人であろうが著名人であろうが、緊張しないと言う。この点は僕と似ていると思った。自身の自信と、時に「熱すぎる」と言われる絶対個性が彼には存在していて、相も変わらずメリットを求めない関係で、今も緊張しないでいる。僕もだ。

120kgのジャイアンくんは、その間それぞれの主張を聞きながら、僕のくだらないギャグにも素敵な笑みを浮かべてくれた。彼が笑うと場が明るくなる。特異で貴重なキャラクターである。そんな彼も、メジャーを歩いてる。 彼らは今の場所で、勘違いをしそうになるときがあると言う。一回に莫大な金額をもらえば、それが繰り返されたときに見失いそうな自分がいたりするのだ。

そんなときに、忘れないように初めて仕事をしてお金を戴いたあの頃を思い出す。今では麻痺しそうな金額、でも高校生にとっての5000円は得難い経験だ。僕にとっての20年前の腕時計がそうであるように、震災の年にこの店に入ってきた最初のお客様に「いらっしゃいませ」と言った声を忘れないように、その写真家は「悲しい色やねん」のジャケットを今も身近に置いている。

忘れたい思い出をいっぱい持っている人、それは貴重な経験で強くもなれる。しかし、忘れてはいけない思い出をずっと想い続けて生きる人は、もっと素敵に魅力的である。彼らは間違いなく、そんな人達だった。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【フォトグラファー宮本敬文氏、スタイリスト長瀬哲朗氏、また会いましょう】

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