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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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昨日はすんまへんなぁ。ネタがなかったんですわ。と、言いながらかなり書きたかったことなので、ネタと言えばネタですな。許してチョーヨンピル。寒っ。

東京・虎ノ門、老舗ホテルの方から19時半に電話が入る。久しぶりの神戸らしい。断る理由もなく、いつもより早く店を開ける。僕の店は勝手に「午後9時半から午前2時までの店」つまり、4時間半の店だと思っているから、これは長丁場だと思いながらも懐かしい顔に笑みがこぼれた、土曜の夜の始まりである。

あんまり好きな表現ではないが、僕が会員制というスタイルを選んだのは、何もステイタスや高級店を求めたわけではない。一般にメンバーズという区切りは、そうでない人との区別に手っ取り早いとされている。フィットネスジムやレンタルビデオ店などその類である。しかし、こと飲食店に於いては「店が客を選ぶ=高飛車」「商業ベース=儲け主義」「区別=差別」という言葉が見え隠れするものである。それは、僕の店からは最も遠い言葉だ。

なんども書き尽くしたが、僕の店は「家」だ。「え?ココに住んではるんですか?」と何度も聞かれたが、今更それに答える必要もなかろう。家だと思えば、土足で踏み入る人や、いきなりやって来たセールスに対しても拒絶する権利がある。実は僕は『人見知りの気(け)』があって、誰でも話せる術を持ち合わせていない。もちろんホテルにいるときには、そんな身勝手な性格を打ち消していた。しかし今は違う。ココは僕の「家」だ。

誰でもウエルカムにしたいのなら、繁華街、三宮で言うと東門街や北野坂に出せばいい。ガラス張りにして観光客も取り込む。チラシだって配るし、ホットペッパーにだって掲載可だ。でも、宣伝・パブリシティを「何か」に頼ってしまったときに、僕個人というアイデンティティが崩れ去るのが分かる。店に立つ人間が誰なのか、そんなことなど問題ではなくなってくる。「家」という概念は、至極シンプルに、人を迎え正対し、お客様同士、そして僕との会話を楽しむペースを創る。だからやはり、ココは僕の「家」だ。

確かに見事に僕の店には、いきなり知らない人は入ってこない。「志賀」に辿り着く人は、通りすがりではなくココに目的を持ってやってくる。初めての人は出来ればカウンターに座って欲しい。それは、僕という人間を知ってもらうという、決して店の雰囲気とカードキーの物珍しさだけではない、ココに対峙するということなのだ。あとは好きにすればいい。

例えば余裕があるから高級車に乗る人がいる。ブランドを着飾る人もいる。しかしその姿勢で向かって来られると、僕は一気に冷え冷えと、ダンディ坂野のギャグを見た時のようになる。何かを手にするということは、余裕を持ってるからするんじゃなくて、「手に入れることで余裕が生まれる」のだと感じて欲しい。

僕はこれからも、そんな穏やかなお客様に出会いたい。

(参考日記 2001年6/15「高価なものを手にするということ」


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【今日思い付いた早口言葉 「奥様はスチュワーデス、お子様はスチューデントです」(3回繰り返す) それがどないしたんやと言われれば、単なる語呂合わせに気付いて、誰かに聞いてもらいたかっただけですとしか言えない
声に出して繰り返した人、あんたバカねオホホ(by 坂田利夫)】

※《レディースTシャツ・拡販への道!》
【力になるでぇ〜、とターバン巻いた男が言ってくれた 強力な協力者である】

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