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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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金曜雨の降る中、車を三宮に走らせていると、すれ違うメルセデスがクラクションを鳴らす。先日まで入院していたサッカー選手・和多田だった。電話で話すと、リハビリの帰りという。水曜に突然1人で店にやって来た、元チームメイト、ジェフ市原の長谷部茂利も心配していた。怪我は付き物だとは思うが、和多田の症状は深刻だ。でも近くにこうやって心配する人がいる和多田は、幸せ者なのだろう。早い復帰を願ってる。

そうかと思えば、僕の凄く大切な人が入院した。早くお見舞いも行きたいのだけれど、またその時に笑顔で、強く信念を持っている自分であるために、毎日を踏みしめている僕がいる。この日の店に来た古くからのお客様であるお医者さんが、偶然その方の入院先に働いておられるからその話をすると「僕が主治医なんです」と言った。これは単なる偶然ではなく、世間が狭いなんて陳腐な言葉に片付けられる話ではなく、その必然に涙が出た。そのお医者さんも目を潤ませていた。この人なら、大丈夫だと思った。

なぜ涙が出たか。店で言うと、いつまでたってもお客様と店の人間である関係は保たれる。それが執刀医であろうが、主治医であろうが、その人の行く先や人生そのものに関わってゆく勇気など、ほとんどの人は持たないで生きる。喧嘩もせず、直接文句も言わずに、事なかれ主義で生きていく。稀に、そんな関係を通り越して「その人の生き様に関わりたい」と思う人に出会う。この医師と、その患者との無機質でない関係が、安心と期待に繋がった。やはり必然に泣いた。

医師であっても、もちろん僕のような仕事にも、いや仕事だけではない人間社会全般にも「保守義務」は存在する。その本質は、尊厳・尊重だ。だから腫れ物に触らないように、オブラートにくるむこととは違う。確かに侵してはいけない聖域はある。でも侵してまでも「対人間」でぶつかってみることを恐れない、素敵な人に囲まれた、清々しい金曜の夜だった。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【ある日、僕のサイトにこんなメールが届いた

「『打たれ続ける杭』になればいい……出来れば僕の『第2の人生』はこのように生きたいものです

僕は2年前に腎不全で突然、血液透析という処置をし続けなければ生き続けられない生活を経験しました 現在は腎移植手術を行い健康を取り戻していますが、血液透析中は水分すら厳しく制限される体となりました……美味しく食べられ飲める事の素晴らしさを痛感しました

『ここまで来るまでの道のり、本当にいろんな事があった だから僕にとって移植の手術自体はとっても大きな手術なのに大変だったとは思えない 僕はとても恵まれていて、しかも運がいいと思う  いつも一か八かの時には良い方向へ向いて来た 良い事を考えないと良い方向へ向かないと思っている かなり勝手な考えだけど、これからもそうあると信じ込んでいる……』

志賀さんの毎日の日記を楽しみにしている こんな男です」

顔も見たことのない方からである でもそれは、僕の糧となり、何よりもその方の力になっているのだと思うと、続ける意味の本質なんて考える時間よりも、こうやって書くことを自然に選べるようになった 嬉しかったメールである】

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