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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜日は、お客様ほとんどが同じ事を言った。
「今日は街に若者が多いねぇ」
つまり僕の店にはお客様が少なかったということである。

そのお客様の1人、お医者様であるその方のご子息がこの春から大学生になる。「志賀さん、この店に息子を連れてくるから酒の飲み方を教えてやってくれ」そう言われて「はいどうぞ」とは即答できない僕がいた。

僕が初めて「ウイスキー」というものに出会ったのは高校時代。同じラグビー部の同期の家に行ったときのことである。両親が外出していたその家で、おそらくサントリーのRED、しかもプラスティックボトル(1.8リットルくらい)を皆で回し飲みしたのが最初だったと思う。(記憶が曖昧なのだが、REDは25度のリキュールの表記の、ウイスキーとは言わずにカラメル色素含有のウイスキーに似せたモノだったかも知れない)

大人の気分に浸るまでもなく、こんなものは二度と飲みたくないと思った。その時に旨いと言っていたのならそれは、紛れもなく大人びたウソだったと言えよう。

大学は新入生歓迎コンパ。我が大阪体育大学ラグビー部は、同じ場所で二度と宴会の予約が取れない、つまり障子はおろか畳や土鍋に至るまで滅茶苦茶にして帰るという、ラグビー部としてはとてもすこぶる(死語)健全なチームであった。一年生は全員、面白くないことを前提に「一発芸」をさせられる。上級生は毎回その面白くない芸に対し、うどんや白菜、中にはビール瓶を投げつける人もいる。穴が開いた襖をバックに、面白くなかった罰として飲まされることとなる。コップにビールならまだいい。うどんすきの汁がまだ入った鍋の中や、魚の骨やエビの殻のあるガラ入れにナミナミと注がれるビールは、大瓶3本はくだらない。「芸」の後は、トイレで「ゲー」、そこは一年生のたまり場と化していた。

その後、時が経ち同期と試合の帰りに飲みに行くところは、大概決まって梅田の東通商店街のカラオケのある店、所謂「パブ」と呼ばれるところだった。訳の分からないまま、バーボン(IW・ハーパーか、ローゼス)を飲んだ。バーボンがウイスキーだということもその頃は知る由もなかった。

社会人、ホテルに就職して、色んな種類の酒があることを覚え、好き嫌いも解るようになる。まずかったウイスキーが旨いことを知る。アペタイザーやメイン料理に合う酒も知った。知らないことと言えば、女性といるシチュエーションに合わせる飲み方……それは今でも分からないでいる。

親に隠れて初めて口にしたREDも、学生で飲まされたビールも、知識もなくみんなで飲んだバーボンも、そしてホテルという場所でお客様や先輩に教えられた数々の酒も、それぞれがはっきりと記憶に残るシーンだ。その時々にしか味わえない体験は、色褪せない。背伸びした記憶は、逆に恥ずかしいモノである。

つまり、息子に酒の飲み方を教えてやってくれと言われても、「はい、僕が教えて差し上げましょう」と二つ返事で受けて、その彼が「素敵な店ですね、このウイスキーも美味しいし」なんて、30過ぎの男がやっと言えそうなセリフをシレ〜っと吐かれた挙げ句に「また友達みんなで来ていいですか」と言われてたところで「ご子息はお目が高い!」などと、心なくデレ〜っとベンチャラ(死語)を返すバーテンではないことを、僕はそのお客様にお伝えした。そして、

「親父、いい場所を知ってるな いつかこんなところに1人で来たいなぁ」
と、心の中の父親像が大きくなるように演出する約束だけをした。

彼には学生時代の今にしかできないことが、他にあると思うのだ。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【知識を言いたい若者の気持ちは解る しかし黙って飲むことはもっと格好いい】

※昨日観た(観終わった)、ちょっとええ映画とビビビっとビデオ評論
【観ておりません】


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