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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜、街には他府県ナンバーの車で溢れかえる神戸である。オイル漏れが気になる僕の車のメンテに向かう道中、京都ナンバーを見かける。少し嬉しい。思わず信号待ちで「京都から来たんですかぁ!僕、生まれも育ちも京都なんですよぉ」とは言わなかったが、それくらいの気持ちになる。皆さんはそういうのナイですか?(それが沖縄ナンバーだったりすると「あれ、海渡ってきたんやで」と自慢げに言う人がいるが、ほとんどが住民票を移してないだけなのだろう)

僕が思う京都人は、独特の地域愛府心(愛国心の造語ね)がある。けなされた時の逆上度が、他の都道府県よりも高いと統計が出ている(僕の中で)。検証すると、京都を一歩出た京都人は、どこに行っても「へぇ〜、京都ですかぁ いいトコロにお生まれなんですね」と、住んでる(た)場所を知らないのに言われたりすることが多い。そして大抵その後に「京都はどこなんですか?」と聞かれる。「小4から、山科です」と言うと「??」となって「でも京都はいいですよねぇ〜」と話題を変えられたりしてしまう、と統計が出ている。(僕の中で)

つまり京都人は、誉められ慣れていてちょっと気位が高い。美人や男前を自覚している人のようである。「どう、私っていいでしょう〜」と背筋を伸ばして闊歩する、芦屋の有閑マダム(死語)のようか。「どなたかのご紹介はありますかぁ〜、ない? ほなあきまへんなぁ〜」とサラッと陰湿に断る気質は、そんなところから来ているのかも知れない、と推測できる。(僕の中だけで)

先述した、京都は「山科」という地名をご存じか。伏見桃山から小学校4年次に引っ越して、今も実家はそこにある。実は山科は、京都人からも阻害されている、いや、迫害と言ってもいい。それには理由がある。その昔山科は「区」ではなく「東山区山科」という地名だった。東山三十六峰、なんと清水寺と山を挟んで同じ区だったのである。その頃、山科は「鐘紡跡」なんて言われた紡績工場と田んぼしかなかった土地だったところに、公団群を建てた新興住宅地域だった。

地理で言うと、JR京都駅を東にひとつ、滋賀・大津駅との間にある。「山科って、滋賀県やろぉ〜」と馬鹿にされたものである。京都・滋賀の県境ということは、微妙にヤバイ人が流れて住み着いたりする。○暴事務所も多いし、変な宗教やオウムの基地もあった。中学の頃には、近くに4つのボーリング場をハシゴして、荒らしまくった。ボーリングをするのではない。400円のバイキングを食べまくり、TVゲーム・ピンボールをタダでする方法を編み出し、閉店後のそこに忍び込んでボーリングをしたりした。(もちろん、ピンは自分で立てる)
それはそれは素敵で、あばれはっちゃく(死語)な中学時代だった。

今では山科駅前にホテルや百貨店(と言っても、ビジネスH、五十貨店規模)、そして市内中心部まで地下鉄がつながっている。ボーリング場もMKひとつになった。夏祭りが楽しかった、スーパー西友の空き地・駐車場は閉鎖されている。ピンポンダッシュをした町並みも今は遠い昔、山科は至便になってしまった。

カッコつけて言うと、そうならないために僕は店を続けているんだと思う。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【とは言え、山科疎水縁の桜は、日本桜100景に選ばれた 落ちた花びらが琵琶湖からの疎水を流れ、蹴上の浄水場へ京都市内の水源となる 山科駅北側にある洛東高校は、僕が大学4年に常勤講師に行ったところで、桜のアーチの長い坂を上る、昔の青春ドラマのようだった 桜お勧めスポット(死語)である】

※昨日観た(観終わった)、ちょっとええ映画とビビビっとビデオ評論
【ビデオ「TRICK」……もうええか 違うの借りよっと】


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