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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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ラグビー日本代表が木曜夜、オーストラリアに飛び立った。
伊藤剛臣からメールが入る。

「戦争が始まり、変な緊張感がありますが、昼も夜も暴れてきます」

マイペースの奴らしい文章だな。頑張って欲しい。
そして……そうだ、戦争が始まったのだ。僕は、こう返した。

「戦争などとは全く異なる、君たちの生身のタタカイには『意味』がある。相手を尊重しながらも国の勝利に向かえるのだから、僕はいつでも応援できる」

「戦争」……学校でも習ったし、知っておかなければならないものではあるが、出来ることなら使いたくない言葉である。歴史に於いて、争いは絶えない。数々の戦いの中で、人が犠牲となり国が滅び、統治去れ、また独立もした。
しかし、「戦い」と「闘い」は違う。

僕の解釈だが、私利私欲が蠢く、武器を用いるタタカイは「戦い」である。戦争が起これば軍事産業が潤い、イラクが崩落すれば石油がアメリカに……こんな絵に描いたような戦いは、焦臭い。NYのテロ自体が、今でも不可思議で悲しい事実として残る。しかし、人がこの世からいなくなったことには変わりない。

ツルゲーネフの「初恋」にあるようなタタカイは、一対一の「闘い」、決闘である。共通の目的(1人の女性)を得るため、お互いのプライド(父と子である非情な運命)を賭して闘う。憎しみはそこにはない。誇りだ。そして、闘いの後には尊厳さえも芽生えたりする。西部劇の決闘もそうだ。スポーツで言う、相手のプレーを認めることである。そして「ノーサイド」が訪れる。

戦争の目的と、そこにある憎しみと、相手を褒め称えもしない戦いの先には、必ず「どちらかの側」が存在し、一方が虐げられる。しかしそんなものは、国の代表同士が世界に向けて、衛星ライブで会談対決でもすればいい。なんなら武器を持たない決闘でもいい。スポーツでも、チェスでも、数学でも……。そうなれば、国民はもっと真剣に政治に関心を持つ。必死で国の代表を選出しようとする。

そんな意味では、今の首相は頼りないと僕は思っている。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトリゴト
【「人間の盾・Human Shield」は凄いことだとは感じる いつも言う「先駆者・最初にそうした人」はもっと大変で、「最後までそこにいる人」は尊敬に値する しかし今の僕の場合、仕事を放ってあそこに行くことよりは毎日働ける喜びを感じ、もっと近い自分の家族を守りたい それができて初めて、僕にはその資格があると思っている そんなことは「ノリ」ですることじゃないし、戦火を避けて一瞬だけ行くのなら、最初から日本にいるべきなのだ】

※昨日観た(観終わった)、ちょっとええ映画とビビビっとビデオ評論
【ビデオ「TRICK」……シリーズもんは、いっぺん観たら見続けなければならない、悲しい性である まだまだ終わらない】


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