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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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お釣りをもらうときに上から小銭、下から手を添えてくる店があるが、あれはどうにも気持ち悪い。この日のスタバもそうだった。それが女性でも、ちょっと退いてしまう。どこかのマニュアルにあるのだろうが、あまりに中途半端で、常に両手で名刺交換……何もお世話していないのに電話口の相手が「お世話になっております」……「喜んでぇ〜」と怒った顔で言っている居酒屋の店員……そして店、初対面で「志賀ちゃ〜ん」と言う奴と同じくらいに怖い。

昨日書いた日記の補足でまた書きたくなった。「最近、文字が多すぎるんちゃうのぉ〜」と今思ったアナタ、人間は就寝中30数回寝返りを打つと、CMで小雪が言っているではないか……特にこの話に意味はない。

多分「セカンドウインド」だったと思う。走っていて息苦しくなった、横腹が痛い、もう止めたい、そんなときに、フッと抜け出る瞬間がある(ランナーズハイと若干ニュアンスが違う)。「出来た!」という感覚はこうして養われていく。(そんな意味やったかいな?村上〔体育大学同期・ラグビージャーナリスト〕、杉田大〔大学同期・六甲ピザの店「リベルテ」店主〕よ?この二人は頭が良かったから、また詳しく教えてもらおう)

僕たちが驚くような偶然も、事も無げにやり遂げてしまう新体操の選手やボードビリアン。サッカーで言うリフティングだって、ピッチャーの針の穴を通すようなコントロールだってそうだ。彼らにも、セカンドウインドのような時期は必ず訪れたはずである。それを乗り越えて、今がある。事あるごとに僕は「自分の実力以上のことはやらない」と言っているが、「無理をして、結果断念」と「セカンドウインドの後、突き抜けることを知る感覚」との微妙な表裏一体の分岐点で、その人の人生が決まると言っても華厳の滝、いや過言ではない。

つまり自分が思うほどに、その数パーセントも実力を使い切らずに一生を終える人も少なくないわけである。「これだけやってるのに、なぜ報われないのか」と問うよりも「まだまだこれから」と先に進めないと、セカンドウインドという通過点は見えてこないし、その先もない。

以上、昨日の補足説明であるが、昨日と内容変わらへんな。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトコト
【メールの入力を予測変換する携帯電話にしたら、確かに楽にはなった 弊害としては、この機種だけのダウンロードできる辞書をいっぱい詰め込んだせいで、ヘンな変換になることがある 「でん」で電話という言葉を出したかったのに、「デンゼル・ワシントン」が先に表示される変な携帯である】

※今日観た、ちょっとええ映画とビビビ・ビデオ評論
【今後、観た日に書きますわ】

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