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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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何度も言い過ぎて飽きるほどに暇である。まぁ、それはいい。前にも書いたように、忙しすぎて誰とも会話が出来ないのは違うし、暇でもイイ話が出来ればそれはそれで帰る道のりも辛くはない。この日もそういう気分であった。
一生さん、ありがとう。

月曜に来ていた雑誌ライターの子が、「志賀さんは仕事が辛いなって思ったことはないですか?自分が強くなったターニングポイントってありましたか?適職ってナンですか?」と矢継ぎ早に聞いてきた。悩んでいるようだ。あの時こんな話をすればよかったと今頃になって思っていた……。

おそらく、火曜の夜のCX「ジャンクスポーツ」に、神戸製鋼Steelers・増保輝則が出ていたかと思う。 聡明、冷静沈着、説得力を体現できる数少ない人間である。1人で店に来たときにはウイスキーを共に交わし、饒舌になった僕等は馬鹿な話も下世話なことも、しかしながら最後にはお互いの心に響く何かを残して別れる。そんな日々が、知らぬ間にもう何年にもなった。

その彼が以前、ある番組のインタビューで最後に言った言葉を思い出す。

「中学でラグビーを選んで好きになって、今はそのラグビーに逆に選ばれる使命や責任を全うするために続けているんだと思う」

これは「そこ」に辿り着いた人にしか見えない言葉であろう。この言葉が当てはまるスポーツ選手や、組織人は極一握りである。別に奴を持ち上げる訳じゃないが、そう公の場で言い切った彼は、少なくともその時点で「そこ」にいる。

言いながらも、人は弱い。僕も然りである。つまり、好きで始めたにせよほとんどの人が悩み、挫折し、もがき苦しみながら生きている。時に職を変えること、辞める(止める)ことが脳裏に過ぎるものでもある。言い得て妙だが「進むときは人まかせ、退くときは自ら決せよ」という司馬遼太郎の何かに書いてあった言葉は、それもまた卓越した能力のある人間のイデオロギーなんだと思う。

例えば、終点がないから悩む。だが「そこ」が終点だと思ってはいけない。ゴールが見えないなどと言ったところで、そんなものは最初から有りはしない。通過点なだけだ。そして続けないとそれすら見えてこなくなる。

僕も選ばれる使命感を持てるようになるために、いつも店に立っている。今、自分が関わっていることに「選ばれる」ようになるなんて、素敵な目標ではないか。

スポーツも仕事も、恋愛も。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトコト
【僕の店の近くに路駐してあった車は、ピカチュウみたいな色・カタチをしていた あの手の車は神戸ではよく見かけるが、あれは全国的にピカチュウなんだろうか? でも僕はこの不景気にイイことだと思ってる 笑える車は少ない】

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