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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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店で書く日記は往々にして、少し重たい内容になる傾向がある。土曜にしては、サッとお客様が引けたから、あれこれ考えながら書いている。

武装解除か否かのニュースに隠れて、シティバンクのネットバンキングに不正アクセス、顧客口座から1600万円を盗んだとされる事件が連日追加報道されている。この時代は今ハイテクだと思っていたことが、瞬時にローテクに置き去りにされてしまう怖さを孕んでいる。ハイテク犯罪対策総合センターなるものが存在するが、所謂イタチごっこの世の中に、「急がない人・店」でありたいと思う。

買った雑誌の対談で、こんな話があった。
『我々の世代は「もしもし」と始まるんですが、携帯電話だと「今どこ?」から始まるんですね。まさに情報化によって空間概念が変わったわけで、すごくいろんな可能性を持っているわけです。(中略)大きな変化が今起こりつつある。楽しいなという反面、ちょっと怖いなというところもありますね』

ナンバーディスプレーのお陰で相手も画面の数字で判る。今では「もしもし」という言葉の意味もなくなった。意味がないと言えば、携帯で電話中、頭を下げて謝りながらしゃべっている人は、フロントガラスに向かってくる鳥を避けようとしている運転手と同じくらいに意味がない。高くないガード下をくぐる際、頭を下げる運転手も同様である。ちなみに、僕はいつもそうしている。

考えてみれば「申す申す」を語源とするこの言葉自体、ベルの発明した電話がまだ日本では試験的に広まり始めた頃の、挨拶でしかなかったはずだ。イマドキ「本日は晴天ナリ、テス、テス、ただ今マイクのテスト中」などと話す先生などいないのと似ている。音が出て当たり前の世の中になった。

まだ携帯の普及が今程ではない頃である。思えば少し恥ずかしい話だが、僕はいつも電車に乗りながらイヤホンマイクを着けていた。僕の過去で言えば、ディスコ時代の「インカム」への懐かしさか。はたまた、SP、ボディーガードの無線機のようか。ちょっとカッコをつけていたのかも知れない。

満員電車のドア近くに立っていた僕の携帯が鳴った。音は僕にしか聞こえない。僕は慌てることもなく口元に近いコードに付いたボタンを押す。

「もしもし」  「ハイハイ」

目の前の知らないおじさんが、僕の目を見ながら怪訝そうに答えた………。

それから僕は、こいつが車の運転中には役に立つこと、スポーツ観戦で使うには聞こえにくいこと、そして人前で着けることがとても恥ずかしいことだと知った。家の電話や初期の携帯のようなコードはなくなったけれども、ちゃんと手に持って話すことは、ハイテクに頼るよりもよっぽどいいことだとも分かった。

事件が起こるのは、ハイテクを理解せずに付いて行こうとする人間自身が、怠慢・緩慢という「老テク」になってしまったからなのだろう。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトコト
【もしも「もしもし」が「もし」にもし変わったとしても、「今どこ?」といきなり話しかけるようなもうし伝えはしないと、もうしっかり肝に銘じるぞなもし】

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