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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜日夕方、雑誌の取材を受けた。もちろん店の宣伝ではない。「コンセプチュアル・バー」の特集だそうで、書き手もその本もよく知っているのでお任せした。コンセプト……概念・発想のある店かぁ。僕のコンセプトってナンだ?

今思えば、土曜の店の僕は少しおかしかった。1人で来ていた船渡くんや、琴ちゃんに「らしくない愚痴」をこぼしていた。デザインワークに携わる彼らだからこそ言えた話だったが、多少組織を経験してきた僕にすれば、今はそこでは出来なかったことをやるために独立したわけで、今の自分に求められる「色」を創ってきたつもりである。しかし、最近少し考えることがある。

クライアントの意向通りに、自分を消してでも作品を仕上げるべきなのか。それは組織で充分にやってきたつもりだ。依頼する側から言えば、組織に求めることと、個人に求めることとの違いは「志賀だから頼む」という思いであろう。そしてこちらが動かされるのは、その人の魅力・納得力を備えた説得力である。そこに立ち返れば、やはり僕は「個」を重視したい。

先日ある会で一緒になった女性の肩書きが凄かった。でも、みんなの前でする話には説得力もなく、月並みな語彙の意見しか出てこない。言葉少ない無骨な職人もいるが、そういうタイプではない。容姿やステイタスはいいが、どうやってそれを得たのか勘ぐってしまう。何人か初対面の方がいたが、少なくとも僕にはまた会いたいと思う人ではなかった。魅力ある「個」ではなかった。

土曜の取材で、店を表現する写真を撮りたいと言うので、僕は三つのモノを出した。お客様に送った店のハガキ(志賀自賛コーナー)、カウンター5番目のグラス(02/6/1日記)、そして爺ちゃんのランプ(2/10日記参照)である。そして「爺ちゃんは最後まで、売るためにものをつくってなかったからなぁ」と僕は言った。ココまで書いて解った。コンセプトってのは、「原点」だったり「当たり前のこと」なんじゃないかなと思ってる。

雑誌を宣伝利用したり、愛情を持ち続けられない作品を世に出したりして、何かを変えてしまう後悔をするのなら、志賀はコンセプチュアルであり続けたい。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトコト
【友人がauの携帯ムービーカメラに変えた 見せて貰ったが、あれはヤバイ なぜなら、どこかの背景で取っておいてストックし、それを時間差で相手に送れば立派なアリバイになる と言うか、そんなことを考えつく時点で僕は不純なので、未だにカメラ無し携帯でいるわけだ】

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