www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
2/16「プロと呼ばれる資格」 バックナンバー >>>
大雨が降った土曜深夜2時、店は閉店の時間。

電車のあるはずもない時間にブレーン卯目くんは、丁度入れ替わりで入ってきたSteelers苑田にスキンシップを必要以上に求め擦り寄り、いい感じで雨の中街にフラフラと出て行った。いつも思うのだが、彼はこの後どこに行っているのだろう。彼なら、彼の住む舞子(三宮からの距離は、大阪で言うのならば吹田から難波、夜中でも車で30分は掛かる)まで「雨って気持ちいいんだよね」と、歩いて帰りそうである。今度、尾行してみよう。

あるプロ野球チームのキャンプを見に行った方からこんな話を聞いた。

そのチームは先シーズン不本意な成績に終わり、今期は心機一転、脇目もふらずにチーム一丸……の期待を胸にグラウンドに着いた。

知人がスタンドにいれば、笑いながら手を振る選手……
ブルペンで投げ込む投手を、芝生に座ってタバコを吸いながら見るコーチ……
バットでゴルフのスイングチェックをする球団社長……

自由と怠慢は違う。開放的と放任主義も違う。彼らは何のためにそのスポーツを始め、何のために続けているのだろう。そして応援するファンは何を想い、子供達は何に憧れてスタジアムに向かうのか。彼ら「プロ」はそれを解った上で、日々フィールドに立っているのだろうか。

ここで、プロではないが僕がなぜ神戸製鋼のラグビー部が好きか、その一端を書きたい。彼らは練習中に手を振ったりしない。もし気付いたとしても会釈だったり、汗のしたたり落ちる顔で、言葉にならない声で挨拶をする。ほとんどの選手がこちらに気付かないことも多い。その知人も同じ事を言っていた。

徹底的に痛く、辛い練習をする彼らには隙がない。そんなに真剣なフィールドに立つ奴らに無闇に近寄ろうなどと、誰が思うものか。それが観る側と、見られる側の正しい間隔(感覚)なのだ。スポーツ選手の心には、偶像崇拝に近い観る側の希望が、「そこ」に無くてはならない。

そことは「太い幹」だ。それはプライドや、秀でた力・スキルであろう。フィールドに立つ間には近寄りがたい大木でも、オフ時や練習・試合後には「枝葉」が顔を出す。止まり木のように、ファンや観客が駆け寄ることのできる、優しさや親近感だ。しかし、怠惰にキャンプを過ごす緊張感のないその場所には、枝葉はあっても太い幹などどこにもなかった。それは非常に危険なことだ。

僕には太い幹は備わっていると自負している。「志賀にしかできない」「志賀ならではのこと」を体現してきたつもりである。ただ、残念ながら僕にはほとんど「枝葉」がない。それが今後の僕の課題だと思うし、とても重要な「幅」になるのではないかと考えている。

そのために僕は、「何のために続けるのか」大きな幹に問い始めたところだ。


※本日の志賀・ヒトゴトではないヒトコト
【その野球チームには、野球を知らない新しい風が必要なんじゃないかな……】

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga