www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
2/10「2年を経た奇跡」 バックナンバー >>>
日曜夜、「今Londonで雑誌のグラビア撮影中!」と妹分からメールが届いたそのとき僕は、阪神間での人身事故のため京都駅の新快速車内に足止めを食らっていた。近頃多いJR人身事故であるが、なんだこのギャップは!……しかし僕は清々しい気分でワクワクしながら、発車の遅れた京都を後にしたのだった。


日曜は睡眠もそこそこに、朝8時には神戸の自宅を出ていた。 爺ちゃんが亡くなったのは2001年の2月、この日は法要である。周りのイメージ通りに、親戚の集まりには滅多に行かない僕ではあるが、爺ちゃんの特別な日だ。
思ってたよりも暖かい京都に降り立った。

下鴨にある僕の生家、爺ちゃんの家にはいろんな顔が見られた。やはり普段会わない皆さんに、少し居場所が無くなった。母は女性陣と色々準備に忙しくしている。弟はさすが会社勤めが長く、社交的におじさん達の話を聞いている。話をしている母親の所に行き、僕は初めて会うおばさんに挨拶をした。

そこは女性「陣」だというのを忘れていた。婆ちゃんは「アンタの結婚式のためにと服を用意していて、お友達に貸してくれと言われても貸さなかったのに、全然使わんと置きっぱなしやわ」と言うし、伯母さんは「小さいとき、『ハンバーグとスパゲティを作るのだ!』ってよく言ってたわぁ」と記憶にあるはずもない話をしてくる。「爺ちゃんは嫁の顔見れへんかったから、婆ちゃんには早よ見せぇな」……皆が矢継ぎ早にあれこれ言ってくる。これだから、やばい。

仁和寺から山に上がった場所に爺ちゃんの墓はあって、住職の法要後みんなで行くことになるのだけれど、それまでのほんの少しの間、僕は吸い寄せられるように二階にある爺ちゃんの仕事場、いや遊び場に一人で上がった。生前あったガラクタの山は無くなっていたけれども、なんだか懐かしい本や作品(しつこいが、日記特別編「僕と爺ちゃん、ガラクタと長靴」、志賀の穴写真コーナーを見てください)が整然と並んでいた。その中にとても惹きつけられるモノがあった。それはいかにも爺ちゃんが創りそうな廃品利用モノである。

親戚連中に見せると「爺さんは儲けること下手やったし、くだらんもんばっかり作ってたからなぁ」と、なんだかヘンテコリン(死語)なカタチに皆笑ってる。インスタントコーヒーの透明な四角い瓶に、これまたお世辞にも上手いとは言えない、でも味のあるペンギンやトリの絵が各面に描いてある。中には単二電池が2本、3本のリード線の先には豆電球が下を向いている。プラスティックの蓋から上に、針金が伸びていて持ち上げられるようになっている。

みんなはまた笑いながら「可愛い絵やけど、これ何に使うんかいなぁ?」と言う。僕は「ステンドグラスっぽいライトじゃないかなぁ」と言ったが、当然使用期限は1988年とあるナショナルNEOハイトップの電池は使えない。僕はすぐに新しい電池を入れて、コレが何か知りたくなった。だから僕は、婆ちゃんに断って、持ち帰ることにした。

弟の運転する車で母親と山科にある実家に着くなり、僕は爺ちゃんの発明品を鞄から出す。 右手の人差し指を針金に引っかけて「ほんま、これ何なんやろなぁ」とさっきと同じように持ち上げてみる。するとつくはずのない豆電球がオレンジ色に微かに光って、やはり微かに絵が浮いている。そして驚くことに、そのインスタントコーヒーの瓶の中から途切れ途切れに小さな電子音がする。
これは……「禁じられた遊び」だ。

爺ちゃんが死んで2年が過ぎた。それまでも、そしてそれからもおそらく誰にも灯されることがなかったであろうコイツが、なぜか僕の手の中でこの日息を吹き返し、光と音を醸し出している。

ヘンテコリンに笑ってるペンギンが、爺ちゃんに見えた。


※本日のダジャレー男爵・伝言板
【神戸に戻って電池を替えた 更に驚きだった これはその音と共に、それぞれの絵が壁に映し出される照明だったのだ 僕の中では、やっぱり爺ちゃんは天才だと嬉しくなった 店に置いておくので、見たい人は言ってください】

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga