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かのフランク・ロイド・ライト、あかり展のDMが届く。しかし宛名が間違っている。そんな間違いをなぜするのだろう。オカシイと思わなかったのだろうか。
「(有)志賀直哉環境デザイン工房 志賀直哉様」
タックシールはともかく、もう少し宛名の大切さを知って欲しいものだ。
まだ夜の8時。僕の店に来る人が少ない時間帯である……はずである。しかしすでに3名のお客様がカウンターにいる。それぞれは別に来て、一人ずつがそれぞれ「お客様」があって成り立つお仕事をしている。自分の仕事を明かしても利害関係のない3人が極自然に、僕の店では滅多にない『初対面のイイ会話』が静かに始まっていた。
お医者様、アパレルデザイナー、歌劇団員、この接点のなさそうな関係が成り立っていて、それぞれが「今日はいい日だった」と帰っていった。そんな場所がここで、もちろん僕は嬉しくないはずもない。
彼ら彼女らは年齢もまちまちだし、当然職種も違うが、この3人(僕も入れると4人)のそれぞれの立場を、他人に解りやすく説明できる術を持っている。人の意見も聞くし、でも自分の意見も持っている。これは2/5の日記にも書いたが、素敵なマイペースなんだと思う。(そこに出てきた大畑大介だが、偶然にもフランス行きの便にこのヅカのシンちゃんも乗ってたらしい それは世間が狭いのではなく、類は友を呼ぶ、ということなのだろう)
自分のことしか話せない、話さない人や、他人の話を広げようとしない者は、了見が狭い。もっと言えば、人間の幅が見えてしまう。それも過去に書いたが、そういうタイプの輩は初対面で無理矢理ビジネスに結びつけようとしたり、口説こうとする。それはほとんど二度と逢えない関係だ。
「会う」という言葉は、会見・会談・面会のように、少し事務的に映る。「逢う」には、逢瀬・しのび逢うのように、永続的に離れない密な関係に思える。
だから膨大な数のDMに宛名ラベルシールを使うのは許せても、相手の名前を間違えて送りつけるのは、まだ「忍び逢えない」関係なのだと思っている。
※本日のダジャレー男爵・伝言板
【2/23に京都である、日比野克彦氏のレセプションの参加費が今時「現金書留」なので、ほんと久々に郵便局で封筒を手に入れた 局員さんに「これって、ポストに入れるんでしたっけ?」と聞くと「いややや、駄目ですよそんなことしちゃ」と当然の如く言われた そんなことすら忘れてしまってる僕は現代社会の進歩に犯され始めているが、相変わらずレトロな封筒に安心した志賀である】
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