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雨が結構降った火曜日。三宮に人は少ない。
日曜にブレーン・卯目くんとイタリアンに行った話は書いたが、その際に店から、同じ垂水に住むサッカー選手に電話をした。この3人が顔を合わすのは滅多にないことだったし、最近近くに越してきたこのJリーガーとも、僕の店以外で久しぶりに話したかったからだ。自宅にいるという彼だがどうも話しにくそうにしているので、取り込み中と察して電話を切った。食事をしながらの携帯電話は、温かい料理に失礼であるし。
翌日、少し気になった僕は電話を入れてみる。留守電にメッセージを残したが、その日に返事はなかった。レスポンスがないのは彼らしくなかった。
火曜日、僕の就寝中の昼間に留守電へメッセージが入っていた。
「彼女と日曜、月曜と喧嘩してて……」
僕は「あの時と同じだ!」と思い出していた……
元神戸製鋼・大畑大介は、フランスのプロラグビー選手を目指し旅立っていった。日本人の現代表プレーヤーとしては、同じくフランスに行った斉藤祐也(元サントリー)と共に、「帰る場所を持たない」立場で異国の地を踏む先駆者である。野球やサッカー、今では普通になった海外プレーヤーも、ことラグビーに於いては初めてに近く、実力と可能性を試す意味でもその動向が注目されている。
彼は2001年4月3日に日本から、まずオーストラリアのクラブチームに挑戦した実績がある。その際は神戸製鋼に籍を置き、海外研修(語学?だったか)という名目のものだった。4月2日の夜に壮行会が三宮であり、彼女(2002年3月奥さんとなる)と共に出席した大畑であったが、僕と彼とある約束をしていた。その後、彼女と二人で店に来て彼女を初めて僕に紹介する、ということだった。
23時半、店の電話が鳴る。受話器の向こうの大介はこう言った。
「彼女が飲めないお酒を飲んでしまって、今ホテルで寝ているんです 傍にいてやりたいので、今日は行けません すいません……」
「わかった、明日気を付けて行って来いよ」とだけ僕は言い、電話を切った。
よく僕は「体育会系」と言われる。大学が体育大学だったことも、ラグビーをやっていたこともそのイメージに加味されているのであろうが、体育会系、イコール「当たり前のこと」だと思っているので、それが「堅物」と言われたり「偏屈」と称されようが、僕にとっては大してそれは問題ではなく、普通だ。
しかしその法則に準じれば、前述のサッカー選手や大畑大介のあの話を事もなく受け入れた僕は「オカシイ」はずなのであるが、彼らのパーソナリティーやキャラクターを知る僕にとっては、なぜかすんなりと受け入れられたのだった。「彼女を置いてでも、男の付き合いを優先にする」
それはそれで男気のある素敵な奴だが、自分の「大切なモノ」を一番に、それをストレートに堂々と言ってのける奴はもっと素敵に思う。
極論で言えば、そんな奴らが日本を背負って足跡を残して行くのではないかと思っている。そんな自分本位なら、それは立派なアイデンティティとして、僕が体育会系と思われているくらいにさして問題はない。
※本日のダジャレー男爵・伝言板
【今は名を伏せて置くが、そのJリーガーもいずれ代表クラスになるんじゃないかと、僕は勝手に思ってる 偶然に大畑大介と同い歳のナイスガイ(死語)だ】
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