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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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今週は寒波が押し寄せるとテレビで言っていた。寒いのはそんなに嫌いじゃない。昼前に元町にいたモノだからそれほど寒くは感じないが、少しどんよりしたかと思うとそれは冷たい雨に変わった。打ち合わせが終わって外に出ると、街はランチタイム、背中を丸めて歩くOLの姿が冬を感じさせる。

昼時に食事を出す店に、一人で入る勇気と、待つほどの根気は僕にはない。こんな時には決まって生田川のお好み焼きを食べることにしている。どこか子供の頃の駄菓子屋や、買い食いをしたたこ焼き屋を思い出させ、懐かしくも決してお子様好みではないその味に舌鼓を打つ。店のおばちゃんと二人きりになり、寒くなったねと言いながら、神戸製鋼ラグビーが残念だったこと、今出ていったおばさんがしゃべり好きで困るなどと話してくれる。こんな場所があれば、お洒落なランチなど僕には必要ない。

野菜の配達に来たおじさんに「さっき、あんたとこの甥っ子彼女と来てたで」とおばさんが言う。「今、二人で家にいるわ 部屋に入ってテレビでゲームしてるみたいやけど、何やっとるかわからんけどなぁ」とおじさんは呆れながらも少しいやらしい顔をしてそう言い残すと、また仕事に出ていった。

「へぇ、カップルでゲームですかぁ……」僕は、焦げ付いたソースをコテで削って口に運び、続けて「どうせ、夢中で会話もないんでしょ それやったら彼女でなくてもええのにねぇ」と、プレステ系ゲームは一切しない僕は言う。年齢のせいか、その機会がなかったのか、僕はその手合いのものにはトンと疎い。子供の頃の遊びと言えば、メンコやビー玉、コマ回し、鬼ごっこにドロジュン(泥棒と巡査、ドロケイ・ケイドロとも)、手打ち野球、キックベースボールと、外で遊ぶことが多かった。テレビゲームもあることにはあったが、ピンポンもテニスもホッケーも全部理屈は同じ操作のテーブルゲームの域は越えず、すぐに飽きたものだ。ともかく家にいるのは、仲間はずれになるようで嫌だった。

近頃の子供は子供らしくない。テレビは一人一台だし、インターネットは見放題だし、おもちゃも馬鹿高い。僕らの頃は時代が時代だし、それは家庭的な問題からかテレビは一家に一台しかなかったし、漫画を観ようとしても必然的に何時から何時までと決められていたように思う。社会現象とも言えるチャンネル争いのため、親がチャンネルのつまみを抜き取ってしまう家まであった。リモコンのない当時に、それは大変なことだった。

昔は家族の会話も対話もその接点はテレビの野球観戦であったり、茶の間であったり、キャッチボールであったりしたものだ。今では、PCでゲームもテレビもインターネットも出来るわけだから、親の目が届かないところで、電波の向こうとの対話(とは言えないが)を楽しむ『大人のような子供』が蔓延している。親が部屋に来るまで画面でゲームを楽しんだり、怪しいサイトを覗いてたりしても、すぐに勉強ソフトに切り替えることだって子供は知っている。使わなくなったソフトを売って新しいPCを買ったり、お金を手にしたりと、やってることはもうほとんど大人と変わりはない。

子供の頃に思い描いた、酒やタバコなどの嗜好品にも通ずる大人への憧れや怖いモノ見たさは、現代の子供達には「経験・体験もしないで語ることの出来る便利なツール」が存在するお陰で、ほとんど消えてなくなってしまった。大人が公園で鬼ごっこやメンコはやらない、いや、やれない。大人が竹やぶに基地を作ったりすれば、ホームレスと言われてしまう。だからもうできない。

PCも、物々交換や対価報酬も、大人になれば嫌でも経験しなければならないし、そうしないと生きてはゆけなくなる事が大半だ。でも今、子供達はそれがなくたって充分に生活できて、遊びもルールも自分たちで作ることだってできる。大人になってからやれないことは、今やらなくちゃできなくなっちゃうんだ。

でも、それを知るのは子供からではないから、やはり大人の責任なんだ。


※本日のダジャレー男爵・伝言板
【大人になれば確かにHな映画や番組も観放題だが、あまりにその期間が長いと飽きてしまうから気を付けなければならない 僕みたいに】

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