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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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モノを創り上げることには、常に付いてまわる事がある。それはプロセスを知らない人と、産みの苦しみを知っている人との温度差である。ニュアンスは異なるが、伊万里焼などの高級な器を好んで収集する人と、安くても自ら陶芸などを体験して作ったものを好む人にも違いが現れるものだ。

出来上がったモノを批評・批判するのは簡単だ。CMなど数々の作品を「あんなの私でも出来るわ」と言ってみたり、若手の成長過程を長い目で見ないで決断を下したりする側の人間は、まるで経営陣と現場の人間との関係のように、微妙なズレを醸し出しているものだ。

デザインの世界にもそれは存在する。閃きや感性は、デスクワークでは生み出せない。生活の中で、数分で思いつくことも何日も考え込むこともあるが、それを理解するクライアントに恵まれているとその発想はいつか無限に広がり、結果カタチになりやすいものである。もちろんそのためには、整備された環境とブレーンの協力も必要不可欠だが、やはり当の本人が持続力を備える人でなければならない。そして信じて見守る、それが時に上司であったり、監督であったり、先輩であったり、親兄弟であれば、そんな人達のいるアナタの環境は素晴らしく、大いに飛躍する可能性を備えている。その温度差なら心地よい。

一つの例として、神戸製鋼の今後について記しておきたい。12日のサントリー戦翌日の朝刊で、神戸首脳陣の「構造改革」とも取れるコメントがあった。あの敗戦で、決めごとを多く持つサントリーに対し、個人の瞬時の判断に重きを置いてきた「自由奔放」なラグビーの神戸は負けた。今後は組織主体への方向転換の時期に来ている、と言うのだ。かなり苦言めいた話になるが、僕はこの意見には同意できない。今はラグビーをしなくなったし、お前にナニが解るのだ、と言われそうな話だが、個人サイトの強みで書かせてもらう。

確かに神戸製鋼は「タレント」揃いだ。金曜に来ていた、往年の名選手・壊し屋の異名を持つ元神戸製鋼ラグビー部・林敏之氏と、黄金時代を共に支えた弘津、富岡にしてもそうである。神戸は、抜群の判断力を持つ選手達の力量で歴史を築いてきた。そしてそのチームに憧れ、レギュラーになれるかも分からないレベルの高いラグビーに身を投じ、その秘密について知りたがる、 ブランドに満足しない選手が強いチームを創ってきたはずだ。僕が知っているだけでも神戸には、そのラグビーが好きでようやく理解し始めた、新人や若手が何人かいる。
その「芽」は摘み取られ、路頭に迷わせてもいいのだろうか?

不況のせいで売り上げが低下し、今までの方針・事業内容を変える。それは企業的思考であり、スポーツに於いては寂しいモノに映る。「こんなことをやるために、この会社に入ったんじゃない」そう言って辞めていく人も多いが、それはその企業の『指針の偽り』という遅すぎた吐露にも責任がある。ラグビーは確かに組織力を必要とする団体競技ではあるが、仕事とスポーツは全く異なるものであるから、そう簡単に放棄出来るものではない。

中国文学『孫子』には、勝利を収める条件として現代訳にこう記述されている。
「戦うべきか否かを判断できること」  「兵力に応じた戦いが出来ること」
「体制を万全にして敵の不備につけ込むこと」  そして、

「君主と人民が同じ目標を持つこと」

「将軍が有能であって君主が軍事に干渉しないこと」……


相互の理解で温度差が縮まり、
あの神戸製鋼がまた上昇(常勝)することを祈りつつ。


※本日のダジャレー男爵・伝言板
【さっきまで、12日の神戸製鋼対サントリー戦のJ-SKYの録画を観ながら書いていた CTBレイモンド・ホラの蹴る一発目のコンバージョン 難しい位置からのキックだったが、これが見事に決まる 観客席から「名前はホラやけど、ほんまもんや!」とおっさんの声が入っていた……笑えない】

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