www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
1/17「僕の一日と、あの日を想って」 バックナンバー >>>
16日朝方にまで及ぶブレーンとの交信の後、朝のワイドショーの終わる時間に仮眠しようとする。ブレーンの徹夜明けの出勤を考えると、なんだか寝るのは悪い気がして結局PCに向かう。そして昼には元町にいた。

いつもの駐車場(02/12/10日記参照)に入れると、2月1日から値上げとある。あぁ、やっぱりね。認知されてきたら値上げときたもんだ。

打ち合わせの帰りに銀行に行く。PCを入れた大きめの四角いバッグに、店の売り上げやその他諸々のツールが入ったケースを入れていたので、ATMにそのまま横に「ドンッ」と置いてファスナーを開ける。周りの人が一瞬驚きの表情でこっちを見る。銀行で「この手」の鞄は危険である。ジェラルミンだったらもっと大変だ。もちろん大金ではなく小さなケースが現れて、またATMの電子音だけが響く無機質な静寂が戻った。

栄町「楽園」で牛バラ焼麺を食べる。久しぶりであるが、ここのウリのこの焼きそばはなかなか旨い。テレビからは震災関連の特集が流れていた。暫し見入る。店のおじさんも暫し見入る。思い出しているんだな、僕もおじさんも。

コーヒーを飲みに行く。昨年の10/8の日記に書いた店だ。最近バタバタしていて、いつも豆をテイクアウトするしかなかったから、この日はゆっくり飲むことにした。近頃の僕をあざ笑うかのように、時間が止まった。

そして店に行く。開店まであと二時間ある。少し眠ることにした。

と、ここまで書いて締めようと思ったら、17日に立ち上げる予定で依頼を受けたサイトのチェックリミットがあったため、店の電話も携帯も何度も鳴り響く。ブレーンとクライアントの双方と話をし、21時過ぎひとまず完了した。
やっと眠れる……。

ところがそんな日に限ってお客様が早く来るもので、僕は眠い目をこすりながら店に立つこととなった。

午前2時過ぎに店を閉めようと考えていると、深夜の来訪者がいた。僕を眠らせない夜が続く。酔っている奴らは神戸製鋼・Steelersの選手だった。選手と言うと若干ニュアンスが異なるが、引退を表明した小村(02/10/17日記参照)を囲む会だったようだ。いきなり寝てしまった小村と八ッ橋を横目に、増保・中道とこの大切な時間を熱く語り合う。感覚的に近い考えを持つ彼らに、ラグビーは語れないけれども感性とハートについては同じ土俵に立てた。

彼らが出ていった、午前4時過ぎ。片づけを終え、睡魔が30分ほどの束の間の休息を与えてくれる。午前5時過ぎ、車に乗り帰路に就くが、FMから流れる言葉でこの朝があの日であることを改めて思い出させた。そう、震災の日だ。

高速で帰るよりは地道を選び、再生した街を眺めながら走らせる。途中、あのひどかった長田のコンビニに車を止める。震災後に出来た店だ。酔っているであろうカップルが抱き合っていて、それを電柱の陰から覗いているおじさんがいた。犬を散歩させているおばさんにも出会う。当時避難所になっていた、今はきれいになった小学校(知人を捜しに行った)が見えた。その全てが平和で、全てが日常的に動いている。街に根付く脈拍は、確かなモノになっている。

午前6時、ラジオから子供達の歌う「幸せ運べるように」(02/1/18日記参照)が流れてきた。いつもと変わらない対向車線には、通勤の車が列を成し始めている。やはり平和である。ヘッドライトの群が、ぼやけて見える。

眠たかったはずの僕の目から、涙がこぼれ落ちた。


※本日のダジャレー男爵・伝言板
【震災は僕にとっては、店をやるパワーを与えてくれたものだ 僕よりも苦しく、辛い思いをした人たちの中で、僕のやることなど容易いモノに思えるほどであった 店は震災と共に、今年で8年になった】

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga