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■ 中毒性日記 2003
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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いよいよ神戸製鋼の試合の行われる日が来た。昼過ぎには花園ラグビー場である。いい試合になることだろう。頼むで、神戸!!

土曜日。餅つきの買い出しや昼間の仕事の打ち合わせと何かと忙しく動いたが、明日のラグビー観戦にしても餅つきにしても、忙しい合間にやることに意義がある。それほど器用ではない僕が、何かのヒントに気付く意味でも見聞を広げる意味でも、こうしたイベントは僕にとってはいつも重要である。

例えば広告代理店やテレビ局などに働く僕の知人達は、実質のところ今の流行やタレントのことについてあまり深く掘り下げては知らないものである。僕がホテルマンだった頃の、寮の食事がまずかったことと同じで、本来伝えなければならない立場の仕事に就いていながら、夢や希望の世界を感じさせるにはあまりにも過酷であったり忙しかったりすることが、ネックになっていたりするものである。時間がタイトで余裕がないということは、かなり幸せではない。

さて、タイトルにもあるように何年ぶりかに彼に会う。僕の持論だが、好きな仕事に就いている人はあまり年を取らない、もしくは変わらない。クライアントがあろうが、スポンサーがいようが楽しんでいるわけだ。当然ストレスも少ない。もしそれが生まれ始めたたとしても、解消する術を知っている。
店に初めて来た、同い年の彼もそんな奴である。

彼との出会いはラグビーだ。僕が働いていたリゾートホテルの大阪営業所に転勤が決まったときに、神戸製鋼の平尾さんやその大学同期のタレント・釘田修吉(和泉修)さんらがつくったクラブチームに、当時吉本のマネージャーをしていた同級生から誘われ、そのときに彼もいた。
思えば、勝つことに囚われない、いい集まりだった。

彼は「巧いか」「上手くないか」で言うと、ウマクなかった。でも物腰の柔らかさと、それでいて自分の言葉はしっかり持っているのが印象的で、タレントさながらのギャグセンスも備えていた。ある時期から東京に、有名タレントのマネージャーとして行ってしまったので、その後のことはほとんど分からなかった。そして彼の久々の姿を見たのは、ある日の深夜のテレビの中だった。

関東では人気の番組(やっと関西でやるようになったが、番組はもう終わった?)のコーナーで、彼はとんでもない恰好で画面に登場する。後日談で、関西出身の彼としては、関東ローカルの番組だから誰にも知られないだろうと思っていたようだが、それが人気番組ということもあって関西で総集編として流れてしまう。番組名は「ガキの使いやあらへんで」といった。 ブラウン管に登場した彼を見て僕は、思わず口に含んでいた物を吹き出した。

仮面を付けブリーフに網タイツを纏い、彼はほとんど裸で鞭を持つSM嬢に扮して真顔で、担当タレントであるダウンタウンに文句を言っていたからだ。

自ら楽しみながら番組を創ってきた新田敦生は今、吉本興業のチーフプロデューサーになった。彼の生き方も、僕には素敵に思える。

しかし僕はSM嬢にはならない。


※本日のダジャレー男爵・伝言板
【フジテレビのO氏が久しぶりにきてくれて、いろいろいい話が出来た メディアに携わる人がたまたま重なった日だったが、みんなに刺激を受ける どの世界にも志を持った人達がいるものである 僕も負けない気持ちでいたい なんせ僕は「こころざし」が入ってる名字だからね】

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