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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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寒いな。気が付けば、店ではもう半袖を着なくなった。もし未だにTシャツなら、それは小学生か、ただのアホである。

僕は営業をしない。ココで言う「営業」とは、無作為にDMを打つとか、宣伝をする、飛び込みセールスをするという意味だ。そう言えば、店に張り紙をして出ていったときにも「8時から営業します」とは書かずに「8時に戻ります」と書いていた。店に掛かる電話に「志賀でございます」と出ても、決して「ありがとうございます、バー志賀でございます」とは言ったことがない。

しかし、違うカタチで「提案」はする。店で言うと、相手の都合を考えずにお代わりをすぐに聞いて回ることは営業だろう。「こんなお酒を飲んでみたら?」とペースを見ながら促すのは、提案だ。

以前、僕がデザインしたTシャツの主旨は、手渡しで売ることに意味があった。そのシャツを着る人の共通項は、僕の知人であるという至ってシンプルなコンセプトだった。つまり、ランダムにインターネットや広告による販売をした場合、不特定多数の着心地や周りの反応までコチラには届かない。こんなバカげたネットワークを、日本中、いや世界に広げませんかという提案だった。

大きく成りすぎたブランドの怖さは、服飾や飲食業界にも共通している。ジョルジオ・アルマーニや、カール・ラガーフェルドは、とんでもない不釣り合い(ステイタスだけではない品格のアンバランス)な人種に、着られていることなど知る由もない。ははは、しかし僕とジョルジオを一緒にしてはイケナイか。

営業セールス職に必然の「お客様に対するプレゼンテーション」とは、やはり提案だと解ればもっとシンプルに事が運ぶのだと思う。いかにも作為的な営業は、もう淘汰されているのだとも言える。もちろん僕個人や店にも、営業してくる人がいる。しかしそこには「今、売りたいモノ」と「こちらが欲しているモノ」とのギャップが生じることの方が多い。方や提案してくれる人もいる。それは往々にして、こちらの欲求や理想を満たしてくれるものがほとんどだ。

ショーウインドー越しに見える商品が「あの子にあげたら喜ぶだろうなぁ」と思えるような、そんな提案という贈り物が人との繋がりを生み、ずっと続くのだろう。残念ながら恋人ではないが、僕にはそんな人達がいつも近くにいる。

彼らの声が、何よりも代え難いプレゼントとして僕を支えてくれている。


※本日のカウントダウン・ダジャレー男爵志賀 〔今年もあと『18』日……〕
【木曜日、僕は区役所に行った 入り口でアンケートを渡される どうやら、この堅苦しい職場の改善に、区民の意見を取り入れようとする前向きな姿勢が伺われるが、設問はありきたりだった お決まりの最後の項目「ご意見・ご要望をなんなりと」とあったので、僕はこう書いた 『病院のように、案内サインが不明確で、導線が解りにくい 色分けや床に表示を記す、など色んな提案が出来ると思う 詳しくは……』と僕のアドレスを書いてきた それに響き、反応する人がいるとすれば、この役所はまだ救いようがある】

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