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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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この日最後のお客様が帰ったすぐ後、なんだか妙にいい気分になって僕は一人微笑んだ。と同時に、お客様の残したウイスキーのオールドファッションドグラス、大ぶりな氷がカランと音を立てて、一緒に笑ってくれた。

氷のことについては昨年5/19「生きた氷の話〜小説風〜」も見てもらうとして、オン・ザ・ロックというスタイルに使われる氷は、やはり大きな氷の方が液体を冷やす役目を全うしてくれる。丸い氷がイイとされているのにはそれなりに訳がある。全うすると書いたのは、その氷が「ある痕跡」を残してくれることを、僕は知っているからである。

何も、溶けて小さく見えなくなるまでになるヤツら(あえてこう呼ぶ)のことをそう言うのではない。 そこまでになる前に、氷を変えるなり、お代わりをするなり、手だてはある。つまりは、液体を冷やすためのモノという大前提で言えば、丸でも四角でも三角でもそれはいいわけで、ここで問題にする「丸い」ヤツらは、グラスにちょうどくらいの大きな氷に他ならない。

そのお客様が「何口で飲み干したか」が解るのである。年輪とも、ワダチという言葉にも近い、その方のその日の飲むペースが、氷にできるグラスの底と平行な線で見えるのだ。それは液体が入っているときに顔を出す、ロックの氷でなければならない。その液体面が、その人の体調までをも教えてくれる。ペースが早いとその線も付きにくいし、ゆっくり今日は飲(や)ってますという時には、何本かの線になる。それぞれのヤツらが、愛おしく見えたりする。

最近は特に、オールドファッションに収まる大きな氷を作り置きをしないようになった。締めすぎると隙間が出来て液体が入り込み、音がする。それを心地良いという人もあるが、それではただ闇雲に溶けやすいモノとなる。だから注文を受けてから氷を削る。早く、溶けないように仕上げるまでには、アイスピックで手の平を何度も突いた。その勲章は左薬指にある。

その人の「年輪」を知ることのない時間は、少し寂しいものである。お客様が帰った後に残されたグラスの中の氷が、また笑ってくれる。そんな取るに足らないことが、僕にはとても大切な「ワダチ」となるのだ。


※本日のカウントダウン・ダジャレー男爵志賀 〔今年もあと『24』日……〕
【あぁ、ビックリしたぁ〜 多分誰も気付いてないことだろうけど、このコーナー何も書かずにアップしてた そんなに書くことないんやけどね】

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