www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
12/06「七転び、矢追純一」 バックナンバー >>>
朝日ビルディングの高層階から眼下に広がる、三宮・元町の街並みを見ていた。生田神社の鳥居が真正面に、そして神戸の山々が、それは映画のスクリーンのようにパノラマに映る。ここからの景色には、僕の店は存在しないかに見える。人は見えるモノ、大きなモノに目を奪われて迎合するのだとすれば、ここに招き入れてくれた方は、目に見えない僕の本質を見抜いてくれたようで嬉しかった。

しかし5日の木曜ほどに、天国と地獄を味わった日はないな。イイ話と、悪い話が両極端だった。でもそこは僕の性格でなんとか乗り切るわけだが、例えて言うと車に轢かれて入院し仕事が出来なくなって途方に暮れていると、その車の後部座席に乗っていたお婆さんがとんでもない資産家で、金額の空けられた小切手が或る日病室に送られてくる、くらいに波乱に満ちた日だったと思う。「波瀾万丈」や「知ってるつもり?」出演を目論む僕としてはアリの話だ。

まぁしかし、人生は七転び八起きだな。転けて立ち上がるから人間であって、それは前向きだと言えるけれど、また転けてしまうのは単なる不注意なことが多い。足下を掬われるのは、それなりに自分が成長した証かも知れないが、地に足を付けて生きたいものだ。フワフワしていては、足跡も付かないからなぁ。
(僕の長い足がイケナイのかね?)

僕の住む垂水区に「七曲がり」という地名があるが、その木曜に車で通る際「ほんまに、カーブが7回あるのか?」と数えてみた。どれをどう数えるのか定かではないが、それ以上にも感じるし、おそらくこれは語呂・聞こえ方・縁起などの問題なのではないかと答えを導き出した。そう言えば何かと「七」という数字を見かけたりするような気がしないでもない。

前述の「七転び」「七不思議」「ラッキー7」「七つの子」「『太陽にほえろ』の七曲署」「風車の弥七」「七瀬なつみ」「岡田奈々」「ナナリーマン金太郎」……あんまりないがな。このネタは却下だ。

元に戻せば、七転び八起きの「八」に意味があるのだろう。末広がりなんていったりする。そう言えば、広末涼子のことをスエヒロと言ってるオッサンがいたな。あぁ、これについても書く気が無くなってきた。答えなんてどうせどこかの社説かコラムで書かれたことだろうから、そっちで探してみてください。

ともかく七転び八起きが続く限り、僕はナントカ頑張れる。
ダルマのように、手も足も出ない訳じゃあるまいし。


※本日のカウントダウン・ダジャレー男爵志賀 〔今年もあと『25』日……〕
【ちなみにタイトルは、語呂的におもしろかっただけで、UFOと言えば矢追純一くらいに一世を風靡したあの人に、特に意味はない 「七転び矢吹ジョー」でも「七転び、八百屋お七(こんな字か?なら今日のテーマっぽいな)」でも……要は「七転び、青木功」でもいいわけである】

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga