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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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23日は結局店を開けたんだけれど、0時過ぎにお客様がひけたので思い切って店を閉める。勤労感謝を勤労しながら祝うよりは休息も必要だ。

店にいる間に何度か電話があって、芦屋のイタリアンの店に合流した。懐かしい顔に会えた。初めての顔もあった。金曜の神戸元町ルイ・ヴィトンのレセプション(11/22日記参照)に行っていた子も何人かいたが、その時とはまた違いみんなリラックスだ。どう考えても僕が最年長だったけど、楽しめてよかった。団体行動は苦手だが、好きな人達がいるのならこんな夜もいい……。

さて昨日の「ダジャレー男爵」で書いた伊藤タケの頭剃りの話で、髪の話を書きたくなった。「散髪」(死語だろう、髪を散らばらせるなら切る必要がないのではないか!?)とは言わなくなったのは多分、いいとも・タモリの影響力だと思う。「あれ?髪、切った?」と言うようになって久しい。

バーバーをBAR BARだったり、カットハウスなんていう間違いは今は昔のことである。いつからかカリスマという言葉を多用し、街を席巻する美容室出店ラッシュは後を絶たない。京都時代からの知人にACQUAの社長・綾小路竹千代氏(初めて会った20年前からこの名前なのが凄い)がいるが、一時の過剰なブームが去った今も尚、ラッシュ状況なのには理由があると思う。一人当たりのカット時間の短縮が認知され、より多くのお客様の予約をこなし、それでも単価が変わらないところがそうさせている。(と勝手に推測している)

僕は小学校の4年生くらいまでは所謂「散髪屋」に行っていた。あの赤・青・白三色のくるくる回るサインで、顔剃りという本当は髭剃りの意味の儀式があった場所だ。5年生では、母の行く美容室(と言ってもドーム型のパーマ機や、おばちゃんしかいない店)に付いていくようになり、知らぬ間にそこで切るようになった。今でも最初に店のおばさんに言った言葉を覚えている。
「マジンガーZの兜コウジのモミアゲにしてください」だった。

泡立てた石鹸を大きな筆の先のようなヤツで塗ってくれる、またあの散髪屋に行ったのは中学生から高校生まで。剃った後に乗せる蒸しタオルに、大人になった気がしたものだ。大学に入ると、僕の出身大・大阪体育大学のラグビー部は、今はバカげた「一回生は丸坊主」という伝統があって、生まれて初めてそうなった僕はいつもずっと帽子をかぶってた。なぜかその丸坊主にしてもらったのが、所謂初めてのカットハウス(家切り!?)だったのは全く意味がなかった。

そして22日の金曜、最先端のカリスマ美容師のいる三宮の店に初めて行った。それまで色んな所に行き、知人を介してやっと見つけた4〜5年ほど通ってた、あるホテルの美容室からオサラバ(死語)してである。実は、いいかげんそろそろ変えるタイミングを計っていたのだ。なぜならそのホテルでは………

僕がカット中、
いきなり新婦がお色直しで入ってきて
急に美容室の人達が一斉に集まってしまい、
いつも僕は放って置かれてしまう変な光景に、

もう飽きたからである。


※本日のダジャレー男爵・志賀
【芦屋のイタリアンってのは、実は8年ほど前に当時の彼女と行った店だった オーナーさんと共通の知り合い、カミーノ、賢太や神戸の選手からずっと話には聞いていた どうも貸切にしてもらっていたようで、営業時間はとうに過ぎていた 午前3時過ぎ、解散となる……畑中さん、ありがとうございました】

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