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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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9月29日から11月20日分まで、休まずに更新したこのサイトであるが、昨日はお休みした。別に、女の子に振られたとか、事故にあったとか、体調を悪くしたなんてわけではない。すこぶる(死語)元気である。

水曜の店で翌朝まで語り合ったのもその理由の一つだけれど、それは意味のある会話だったし、たまには休まないと近頃天気のいい外にも出ずに、不健康な生活になってしまうとは思う。せっかくのお天道様(死語・こう書くんやなぁ)に申し訳が立たない。ゆえにしっかり寝た。しかし、1日休むと驚くくらいにアクセス数がアップするのは今に始まったことじゃないが、嬉しい限りである。

旧居留地にオープンするというブランドブティックを見に行く(外観ね)。22日のレセプシヨンはセレブも来て盛り上がることだろう。知人も行くようだが、僕には当然インビテーションはない。当たり前だ、ここ数年そこでの買い物はおろか、いつも素通りだからだ。昔一瞬(この定義は難しいな)お付き合いをしていた相手が勤めていたブランドだが、その後、縁がない。

北側の僕の好きな銀行や大丸近辺のロケーションはいいが、こうなると東にあるコンビニはかなりやばい。「どこまでが大丸の敷地なんだ!」という僕の素人意見もあるが、旧居留地=元町大丸のイメージの構図で言えば、少し異様だ。僕が初めて行った頃の石垣島に唯一あった、港に浮かぶように建っていた「ケンタッキーフライドチキン」を思い出す。

街というものは、街を「作る」ことは作為的で、次に「造る」だけなら造作的で、やはりその先の『創る』という創造であって欲しい。そういう意味では、神戸という街は住み心地がいい街である。ただ、コンビニは家か店の近くでいい。

僕が昔好きで、一人で行っていた和食屋さんがある。値段は張るが、味はいい。料理がコミュニケーションだ、と言わんばかりに無骨な客あしらいとその手さばきに安心できた。どこか、僕の考えと似ているところがあって、僕の励みにもなっていた。しかし最近のこの不景気に堪らず、無料配布クーポン誌に掲載を決めてしまった。「食事代金2割引き」だそうだ。それは彼の決めたことだから、外野がとやかく言う筋合いではない。毅然と前を向いてくれれば問題ないのだが、先日話した彼はまだ揺れ動いていた。そして涙を見せた。

ブランド品をプロパーで正規ブティックや百貨店で買う人がいる。ディスカウンターで手に入れる人もいる。それらはどちらもニーズの上で存在し、無くなりはしないものであろう。商品は同じでもその売り方で、対極となる。割引がサービスだと思う人と、定価での満足感を求める人とは根本が違う。そして実のところ、使い手に於いてのその商品は同じではない。

街が創られる。その一角に変わらない安心と、変わらない味があれば、人はその場所を求めるものだ。 「作られた」街並みや店は、意図が見えすぎてどこか怖く感じてしまう。そして安売りはマジョリティの仲間入りと化す。以前より一度価格を下げたものは、もう高くは売れない。

ブランドは不変でなければならない。それは歴史が物語っている。


※本日のダジャレー男爵・志賀
【ちなみに「志賀」はブランドではない 僕がブランドなの おほほ】

※「志賀」に来た、ちょっとEE(ええ)メール
【『日記を拝見したところ、今ひとつ元気がない感じがするのは気のせいですかね?もしやこの寒いのにTシャツでお店に立って……ませんね』(大阪の研修医の女性より)………ははは、Tシャツです】

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