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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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FMを聞きながら車を運転していると飛び込んできた曲。「MONDO GROSSO Feat.BoA」アーティスト名と曲調だけでは解りにくいが、日本発の楽曲だ。2STEPを日本に持ち込んだ大沢伸一プロデュースなんだろう。これでBoAっていう子もアイドルに終わらないで済んだな。音楽に国境はない、そう感じた。


一年近く経って、僕の家のサボテン(昨年11/30日記参照)に蕾が付いた。そう言えば「このサボテンはいつになったら花が咲くのだ?」とバカみたいに毎日眺めていた頃があった。花っていうものは一年に一度咲くものだという、そんな単純なことが家の植物で解る。一人暮らし歴16年の僕は、去年初めて花の咲く植物を手に入れたわけだが、この歳になってそんな小さな事を思いだし、感動した。
言わずもがな、そんな自分が堪らなくスキである。

と言っても、活字ってものはそう簡単には「感動」や、ましてその「ビジュアル」なんて伝わりにくいものだ。特に僕のこの日記はせいぜい400字詰め原稿用紙、多くても3〜4枚の中に書くわけだから、時に非常にストレート過ぎる表現になるし、人によっては「長すぎる!」と言われることもある。しかし辻仁成のように、たった一つの言葉に至るまでの遠回しな描写の延長が、小説家というものを生むなどと僕は思ってる。テレビで観た巨人の星・星飛雄馬の投球シーン、振りかぶったところで止まって「つづく」、たった1回の攻撃を2週間に渡って描くのもストーリーなのであろう。それに比べればまだ可愛いもんだ。

そんなわけで、この日記くらいのスペースでは気持ちが伝わらないことも多い。前にも書いたが、読書は多様な捉え方をするものだ。なら、メール、特に携帯メールなんてもっと困ったことになる。あれはもっと怖い。

先日僕はある女性から「小さい秋、見つけなくっちゃね お互い頑張りましょう」ってな恋人のいない慰めにも近い締めに対し、僕はタイトルを「Re:小さい水沢アキ」とお粗末(死語)な語呂合わせで返信した。後日会った彼女はご立腹である。僕は単なる韻を踏んだだけなのに、彼女は近頃ダーティーなイメージが付いて回る「水沢アキ」に不愉快な思いがしたらしい。事ほど左様に、相手の顔を見て話すことに優るものはなく、E-mailはやはり電子通信の域を出ない。

相手の表情を感じながら自分の思いを伝える、その至極単純なことが、サボテンのお陰で嬉しく思えた。サイト日記もイイが、これからそんな気持ちで店に立てそうである。しかしその時、目の前の相手が一年ぶりに咲いた「サボテンの花」に見えるか、「水沢アキ」に見えてしまうのか、それはまた別の話。


※本日のダジャレー男爵・志賀
【小さな「あき竹城」でも可】

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