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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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日中はそれほど寒くなかった神戸、夜には小雨がちらつき始め少し寒くなった。テレビに出た(9/1日記参照)お陰でテングになっていると、まことしやかに噂を流している人がいるらしいと聞いた。あれは宣伝ではなかったし、それで店が人で溢れかえってるとしたらそれもマコトであろうが、出演当初も今もかなり暇である。天狗どころか、ペヤング(焼きそば)ほどにも、ピノキオではない。そんなことを言うヤツは鞍馬天狗がお仕置きだ!(意味不明)

近頃の僕は、カブトムシの幼虫のようだ。いや何も、土中に埋もれているのではない(まあ「未完の大器晩成型」と言われ続けているので、あながち遠い話ではないが)。それがダンゴムシ(まるむしとも言う?)でも、アルマジロでもいいのだけれども、ともかく起きるとき、外出するとき、PCに向かうとき……僕は背中が丸くなり、どうにもブサイクな恰好である。

それがこの季節のせいだと言えばそこまでであるが、このスタイルは少しばかりネガティブな思考を誘発するようである。落ち込んだとき、ため息をつくとき、恥をかいたときに、胸を張ってそうする人はいないように、この幼虫だんごスタイルはいかにも「ごめんなさい的」で好きではない。

『肩身の狭い思いがする』とは、肩幅の狭いことではない。当たり前である。普段見える姿よりも小さく見えることは、コソコソと密かに、慎ましく、目立たないように振る舞うということであろう。しかし、それは許しを請うためのアクションだったりする。脳波が「今は肩を落とし、相手を刺激しないように伺いを立てれば、許して貰えるだろう」という計算の上で命令を発し、中枢神経の引き出しが「謝りのポーズ、パターン3!」などと身体に訴えかける。

しかし僕は、これで伝わる相手の気が知れない。いかにも幼虫だんごスタイルよりも、非を認めながらも誠意を持って堂々と意見をする、胸を張って信用を回復・修復しようとする人の方がオーセンティックだ。意見を戦わせた相手の方が信じられるわけで、そうでなければ同じ土俵に乗っているとは思えない。計算というビジネスだけのつき合いは、少なくとも僕は続かない。

だってそうだろう。僕達は成虫のはずだ。


※本日のダジャレー男爵・志賀
【わしゃ、虫か!】

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