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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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六甲まで買い物に行っていたため、少し遅めに店に着いた水曜日。扉の前には、氷屋さんが持ってきてくれた一貫と、新聞の破った1ページがハラリと置いてある。読売新聞夕刊、その頁は「関西おもしろ文化考・第94話・ラグビー」とある。ラグビーを通して、東京と関西文化の違いを説いている一面がまさか偶然に飛んできたとは思えず、有り難い気持ちと不思議な気持ちが交錯した。そんなこの日、僕の店で一つの事件が起こった……。

これは個人サイトだから極私的に書くものであったり、お互いのコンセンサスさえあればそれは、その相手のプライバシーをさらけ出す事もできる。例えば1日100人がこのサイトを覗くとして、僕が100人を意識しながら書き出せば、やはり「嘘」「大袈裟」「まぎらわしい」誇大広告の如く、僕の範疇を越えてゆき、軌道修正が難しくなる。大きくなったレストランの悩みは、料理人と客との距離だ。それを埋めるのがギャルソンという意見もあるが、やはり料理はシェフが対面でサービスし、直に笑顔や食すスピードを確認することが理想であろう。この日記に於いても、そんな気持ちを忘れたくはない。

少々、遠回しな言い方になったが、だから僕は今回、ある二人の男女だけを意識して書くことにする。それは非常に「依怙贔屓」「区別差別」と取られがちな危険性も伴うが、この場を借りて彼らのことを書きたい。難しく感じる内容かも知れないが、解る人だけ判ってくれればいい。

男は「カミーノ」と言い、飲食業界の異端児だと僕は勝手に思っている。裏打ちされた経験と熱い語りは、時に人を惹かせることもあれば退かせることもあるのだろう。しかしそこに二番煎じを嫌う、彼の「コンセプチュアル」、所謂概念的思考が垣間見られる。『火のあるところに人は集まる』モノだという古来からの考えから、それを住居や食事をする場所に置き換えて、基本を熟知した上でのオリジナリティを追及する、彼の思想は他の追随を許さない。僕はそれを彼の魅力だと認識し、世に走り始めた彼が「少し時間が空いたので来ました」と6時間も一人でここに居座ることを歓迎している。

彼は僕の店を『原点の確認』などと言ったりするが、僕はただ走る人間の背中を押したりしているに過ぎない。バーとはそういうところだと思っているし、僕が全く走っていないのかと言えば、実は少しずつ同じ歩幅で進んでいる。それは、背負うモノのある立場と、一人で店にいる人間とのスピードの違いだけだ。だからいつも僕は彼を送り出し、その代償として少しのパワーをもらってる。


女性の名は「かおり」と言う。かおりちゃんは、僕にとっては大切な女性だ。こうやって書くと勘違いされるので別の言い方をすると、心から幸せになって欲しい候補ナンバー1の子である。昔から「男女の友情関係は成立するか」の質問で女性はYes、男はNoと答えることが多いとされている。僕もNoだとずっと思ってきた。しかし彼女と出会ってその考え方を改めた。それは酒の席であったり、食事の席であったり、はたまた月明かりの海に衣服を脱いで飛び込んだその場所でも感じた。つまりは、初めて友情関係が成り立つ女性に出会ったわけである。

女性に弱い部分を見せるのはずっと恥ずかしいことだと思っていた。それはステディな彼女にさえそうやって生きてきた。しかし時に僕は、かおりちゃんにはそれをさらけ出す。迷惑だろうがさらけ出した。痛みの解ってもらえる、数少ない異性に出会った。そんな彼女の幸せを喜ばないはずがない。


多かれ少なかれ、喜怒哀楽が人には存在する。それぞれがはっきり現れる人を称して「気性が荒い」「すぐ泣く」「うるさい」なんて言ったりするが、彼等を見ていても会話の端々にそれは顕著に現れる。喧嘩もあろう、一方的に泣くこともあるだろう。しかしその先には、共に泣き、共に笑い、喜びを二倍に、哀しみを二分にできる姿が僕には想像できる。

カミーノとかおりちゃんの結婚に異論はない。僕が見届け人だ。





















これを信じるヤツ、おるのか? 彼らに対する思いは本当であるが。

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