www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
10/05「それでいいのか、神戸製鋼! まぁいいか」 バックナンバー >>>
ひどく頭が痛い。いや心配なさるな、風邪や後遺症のことではない。少し馬鹿者の若者達と「飲み」に走ったせいだ。今考えてみれば僕はおそらく、彼らに勝ったということなのだろう。いつかの日記(昨年6/21参照)みたいに車で寝てたら、警察官に起こされた「運転手さん!ここは駐停車禁止区域です」と……(運転手さんって変な言い方やけど仕方ないか お前さん!やったらオカシイもんな)…朝靄(もや)なんて久しぶりに見た。

店に突然、初めて一人で来た若者はゴリと言う。ゴリラに似ているからなのか、正確がゴリ押しなのか定かではないが、こいつはオカシイ。なんでも慶応大学から拉致監禁・檻に入れられて神戸に来たそうだ。ゴリラなのにラグビーをやるということで珍種として関西にやっては来たが、未だ上方(死語)に馴染めないでいる。その彼が、初めて一人で来た。

彼の名は、野澤と言う。長野のおみやげみたいな名である。まだ23歳くらいだから、僕から見れば15歳も年下のひよっ子(死語)である。自分で言うのもなんだが、僕の店は歴代の神戸製鋼ラグビー選手達にとって「一人で行ける店」としてそれなりに続いているので、彼らがいつも団体で来る店ではない。但し最初は先輩に連れられて来るわけだから、当然若手はある程度の月日が流れ、僕と話し「ラグビーの先輩のようだけど、この人はラグビーの話はしてこないな いち人間として話せるな」と思ったらいつか一人でやって来る。そうやって、みんな一人で来た、ちょっとしたプロセスがあったものだ。

ただ、つい何ヶ月か前に大学を卒業した若造(子供のゾウではない、って前にも使ったな)が店に一人で来たのは初めてだ。しかし僕は、そんな彼の骨太な(見た目も)、図太い神経を持ったところがなかなか好きである。最後まで飲み会に付き合う、粗相をした次の日には電話をしてくる、僕等が若い頃そんな当たり前のことだったことを、今の時代に普通にやっている彼は憎めない奴だ。

気が付けば、増保、南條とSteelersの人間が別々にやって来た。約束をしたわけではないのに、である。団体ももちろん有り難いが、こんな奴等は得難いものだ。でもやっぱり始まったイッキ攻勢、増保は僕を「おっさん」と言い出すし、南條賢太は勝手に物真似を始める。野澤は「志賀さん、飲んでぇ〜」と僕にグラスを勧める。その内に、増保は額をカウンターにつけて眠り出す。野澤は「増保さん、飲まなくちゃぁ〜」と言う。むっくり起き出した増保は「今天国の婆ちゃんと交信してたのに、起こすな、バカヤロー」と言ってまた眠る。そして再び起きた彼は「これを日記のネタにして、レギュラー外されたらオッサンのせいや!」と言って撃沈した。

深夜3時過ぎ、みんな帰ることになったが何故か野澤が「志賀さん、ラーメン行きたくないですか」と言って、奴等を見送っていた。三宮でラーメン食べて、タクシーに乗せて勝手に帰らせればいい……なんてことは出来ないところが僕のキュートなところである。「国道走っていったら、ラーメン屋あるでしょう、しかし増保さん弱いねぇ〜、あんな増保さんは……」と言ったところで彼も助手席で撃沈していた。

マニュアルミッションのギアチェンジも慎重に、ブレーキングも彼を起こさないように、酔い覚ましに窓を開けてやり、おおよそ30分後見つけたラーメン屋にたどり着く。「おいゴリ!着いたぞ」と起こすと「もうダメです、気持ち悪い、ダメ…」と今にも吐き出しそうな勢いである。結局僕は、寮まで送ることになった。

僕の家はここから車で40分、全く反対方向だということをこのゴリラは知っていたのだろうか。僕ってやっぱりサイコーなナイスガイである。(死語)


※本日のダジャレー男爵・志賀
【その後ここまで来たんだから、と意地でもラーメンを食べることにした 僕も酔っていたのだろう ラーメン、チャーハンに、替え玉までしていた】

※「志賀」に来た、ちょっとEE(ええ)メール
【「まず健康で よく睡眠を摂って、時々『右脳と左脳』を使い分けするように 今のままで充分、自分が輝いてるから」(68歳 大学講師&物書きのオヤジ)】


Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga