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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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突然小泉内閣の主軸、店のお客様K氏の「国会便り」メールが届き何事かと思ったが、メールマガジンである。なぜか「俺、なんか悪いことしたかな?」と国会と国家権力を混同している僕は、まだまだ政治に猜疑心を持っていると言えよう。


人は「あんな風になりたい」と思い続けていると、なんとなくそこに近付いていくものだと、僕は勝手に思っているのだが、それにはちゃんと理由がある。

僕には二つ違いの弟がいるが、僕も認めていたほど小さい頃は風貌が似ていた。小学校の頃半ば強制的にラグビーボールを持たされ、同じ高校では3年と1年、僕はNO.8、彼はCTBとして練習の毎日だった。体型は違えども兄弟は兄弟、周りにもそれは一目瞭然だったと思う。しかしそれぞれの大学に行って、彼はバイト先のバーで黒人音楽、そして黒人にハマることになる。

アナログレコードは何百枚と集まり、モータウンなんちゃらかんちゃらモノがどんどん増えていった。当時僕は対極の「マハラジャ」系でバイトしていたこともあり、接客サービス業に目覚めていった頃だから、ほとんど彼とは会話もなく過ごし、僕が社会人になる頃には彼はほとんど「黒人」と化していたのだ。ただ焼けているだけではない、本当に僕の弟なのか?と思うくらいに、唇までも分厚くなっていた。笑い事ではない、ホンマである。

じゃぁ、僕がどんな風になりたいと思っていたかといえば、ヤンキーとは違う「怖い人」になりたかった。目に力のある、睨み付けるだけで言葉は要らないような威圧感も備える、そんな男に憧れていたように思う。もちろん男だから殴り合いの喧嘩もしたが、睨み合いの時点で勝った記憶の方が多い。でも大人になり始めた頃から、そんなことはどこかへ忘れてしまっていた……。

水曜の夜、神戸製鋼・伊藤剛臣(タケ)から連絡が入る。「大学の先輩と待ち合わせで、先に先輩が着くから入れてあげてください」……程なく先輩はたどり着いた。僕よりは遙かに年上、関西弁の少し強面である。でも悪い人には見えない。ここにタケがいれば問題ないのだが、ドリンクを作り、その後の話に少し閉口した。僕が大学でラグビーをやっていたことが情報として彼から流れていた為で、話はラグビーのことばかりであるからだ。「大八木はこうだ、平尾はあぁだ、法政出身、下坂・早坂はこうだ……で、マスターは誰と同期なん?誰を知ってるのん?」ときたものだから、「あんまりラグビーの話は詳しくないので…それとマスターって言わずに、志賀でいいですから」と、風邪でしんどかったのもあり、ここは静かに無口なバーマンを装った。

タケと、神戸製鋼同期・増保が来たのはその30分程後のことだった。勝手知ったる彼らの登場に、徐々に口数の増えた僕は、ウォッカトニックと滅多に注文しないドリンクを告げた後「どう?志賀さんこの注文、どうよ?」と誇らしげに言う増保に「俺を怒らせるな!」と返し、「苑田はキャプテンで今が旬だけど、あの顔はどうってことないぜ、ショボいぜぇ〜」と話す彼ら二人に「お前らもショボいわ!」とだけ言って去ったりした。僕が他のお客様と話している間も、彼らのテーブルではずっとラグビーの話が尽きなかった。

ドリンクのお代わりを持っていくたびに、タケの先輩はもうマスターとは呼ばず、妙に謙虚になっていった。現役の彼らに対しては、やはり「先輩の言葉は絶対!」くらいに強い言葉で半ば強引であったが、熱い人なのであろう。僕は嫌いじゃないタイプだと思っていた。しかし、なぜそんなに急に僕への態度が変わったのだろうか。トイレから帰ってきたタケが、そっと僕に耳打ちした。

「先輩が『志賀さんって、コレ系の人か?』って聞いてましたよ」
と、笑いながら頬にキズを作る仕草をした……。

家に着いた頃と思われる時間に来た「今日はなんかバタバタですいませんでした」という珍しくしおらしい増保のメールにも感じられるように、僕は終始怖い顔をしていたのかも知れない。

ただ、お腹が痛かったのを我慢していただけなのだが。


※加納町志賀の『たまに吐くならこんな店!』
【お腹の調子が悪いぞ、いやな風邪である 求む「ゲーリー・ストッパー!!」】


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