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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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『慣れとは、日常生活に於いて習得された、生き抜いてゆくための「個人技」である』2002年 志賀敏哉著「スタンドプレーにご用心」より……

あんまりウソの著書を書いても、誰も信用しないだろうからまぁその変はご愛敬(死語)として、とにかく「慣れ」というものは、時として失敗や勘違いをも引き起こす。日曜も店からの帰り、4日前に換わってもらったばかりのマンションの駐車場(お互いの棟に近くなった)なのに、以前の場所に入れそうになった。店では、最近変わったスクリューキャップのペリエを、以前と同じように栓抜きで抜こうとする姿をお客様にチェックされた。まぁ、この辺は可愛いものだ。

他人の家を出るときに「お邪魔します」と言ったり、親に向かって「先生」と呼んでしまったりすることは、かなり恥ずかしい「癖」に近い慣れである(それは習得された個人技とは呼べないが)。余談だが、眠ろうとしているときに思わず出てしまった自分の声で、我に返った経験はないだろうか(4人に聞いて3人いた 2001年「志賀データバンク」より)。それは大概「ふわぁっ」であったり「んぁっ」のように、言葉ではなく、鼻から漏れるような情けない声である。あぁ、欽ドン「良い子悪い子普通の子」に出てくる「フツお」の『ナァッ!』みたいなやつだと言えば解りやすい(か?)。電車で寝ていて「ガクッ」となって起きるくらいに、誰も聞いていないのに恥ずかしいものだ。

話が大幅に逸れたな。さて僕が聞いた危険な慣れは、実際経験したことがないのにほとんどの人が知っている「知識という名の習慣」である(知識はシミュレートだけで、決して知恵とは言えない思い込みも多い)。『大きなクマが目の前に現れたら死んだフリをする』そうするとやり過ごせるという例のやつだ。
これは、あるお客様のお話し……。

神戸では、六甲や新神戸の裏手・布引山から下りてくるイノシシが問題となっている。生ゴミの日には食い散らかすし、コンビニには入り込むし、ウリボウに餌を善意でやっていた人に、文字通り猪突猛進した親イノシシもいたと聞く。そのお客様も家の近所である深夜、大きなイノシシと遭遇した。人間の大人の腰より高い、四つん這いのイノシシにである。

そのイノシシと彼の睨み合いが続く。正確には「イノシシに睨まれたカエルならず、人間」だったのだろう。未経験だが昔から誰の記憶にも存在する『クマを見たら死んだフリ』が、ふと過ぎった。「獰猛な動物だから使えるはずだ!」うつ伏せになったまま動かずに、彼はイノシシが去って行くのをジッと待った。

大きなそのイノシシはその巨体で彼を踏みつけて、山へと帰っていった。


※加納町志賀の『たまに吐くならこんな店!』
【とにかく僕の店のように暇に慣れてしまうと困ったもので、結局流行ってない店なんてレッテルを貼られる(死語的言い回し)ものだ それはいいとして、TV放映・フジワラノリカくんの効果で、さぞ忙しいことだろうと来店を遠慮されている皆様、確かめに来てください 見事に相変わらずですから】


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