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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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僕が「求めない、駆け引きしない、裏表のない、たまには喧嘩も出来る」信頼すべき女性K嬢に、最近の日記はしっくりこない、暗い、笑いがない、ダサイ、臭い……(そこまでは言ってない)と指摘があった。確かにここ最近の僕は、考えることが多く、さすがその辺は解ってくれる奴やな、と感心する。しかし今日もちょっと真剣モード(死語)なんだな、これが。

天災と人災の違いはあれども(火事は人災とも言える)、今回の大阪・法善寺横町の火災や、一年たったNYグラウンド・ゼロには共通の争点があるようだ。それは「復元か、新興か」である。袖すり合いながら通るほどの路地を人が行き交う姿は風情があった。横町から商業施設に変わりゆく様は哀しいものである。アメリカの象徴という建築物の威厳を取り戻すべきか、モニュメントを中心とする記念碑に重きを置くべきか別れるところであろう。

昔そこにあるはずだった店が、場所を変えて存在する。これは諸事情により、起こりうるケースだ。出来ればその場所にあって欲しい、ひさしぶりに訪ねればそれも尚更である。僕にもそういう思い出がある……。

震災後数年してある日そこに行くと、震災の大きな被害は免れたはずの飲食店の取り壊しに遭遇した。ひどく悲しかった思いがした。そこにはマンションが建つらしい。区画整理で立ち退きを命じられたのか。ところが数カ月経って、同じ場所にその店がオープンした。一瞬「よかった」と胸をなで下ろしはしたが、大きな看板、綺麗な店内、真新しい什器……以前の古びた様子の欠片もなく、僕の足は遠のいてしまう。さみしくなった……。

僕は基本的にどちらかというと「寂しい」という字を使うが、調べてみると面白いことが解った。「さびしい」とも言うこの言葉は「寂しい」「淋しい」と二つあり、元々形容詞となる前にはその一文字だけ見ると、それほどネガティブな言葉ではないようである。

「寂(さび)」所謂わびさびで言われるところの、古びて趣があること。

「淋(りん)」水を注ぐ、したたり流れるさま。

何かを色んな理由で壊してしまい、そして新たに作り上げる(「創り上げる」であって欲しいが)ことに「寂しさ、淋しさ」は必ずやってくる。しかしその様が、どこか趣のあるものであったり、ずっと湧き出る水のように細くても絶えないものであれば、そのサミシサには意味がある。

悲劇を被ったあの二つの地が、新しい一歩を踏み出すことを願って止まない。


※加納町志賀の『たまに吐くならこんな店!』
【「お前は何様やねん!」と思った人……僕もそう思いますわ】


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