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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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やはり、想像通りに27日更新した小説『「告白」後編』は、大いに物議を醸し出す。週末の更新ゆえに、レスはまだ少ないが、自分の体験談、彼女へのアドバイス、はたまた文体への評論、呆れました、悲しい……と様々なご意見を頂戴した。この場を借りてお礼を言いたい。しかしこんな意見もあった。
「ガンバレ、志賀さん!」と僕にエールを送るのは筋違いである…。

「物議を醸す」あぁこの言葉も使い古したな。本来の意味は「人々の議論、世間の騒ぎ」であるから、実は僕の使い方は大袈裟で、結構遠い。僕のは「プチ物議」「井戸端物議」「タコブツ(蛸の物議リ)」……まぁ、何でもイイ。確かに僕も含めて世間の人々は、言葉を間違って使うことに段々抵抗を感じなくなっている。それは、まさしくメディア・情報通信の発達が要因と考える。

誰が最初か?などと答えを見いだすのはチト難しいものである。例えば「語尾上げ」と言われる、常に句読点前にイントネーションを上げて話す人がいるが(それは決して問いかけではない)、ある言語学者によると英語圏の会話に見られる抑揚に感化された、日本の女性キャスターがテレビで話したのが最初だと言われている。それが全国に広まったというのだ。(少し疑問である?)

しかし今の時代ならまだしも、その昔、子供の遊びに見られる「遊び方」の共通性について書いた文献を読んだことがある。神戸であろうが、東京であろうが、九州であろうが、その呼び方は違えど、ルールの同じ遊びが存在する。試しに同世代の知人に聞いてみればいい。僕が小学校の頃京都では「どろじゅん」と言う、泥棒と巡査(古い!)に別れ、追う側・逃げる側のチーム鬼ごっこみたいな遊びをよくやった。ある地域では「どろけい(警察)」と聞いた。少なくとも僕の周りの男子(古い!)は、その遊びを知っている。

この話の不思議は、なぜ同じ時代に、それぞれの場所で同じ遊びが存在したかである。もちろん伝承者もいるのだろうが、そいつが全国を回ったとは思えない。この本によると、ある実験がその答えを見出すヒントになっていた。

九州、関西、東北、北海道……ニホンザルの多く生息する地域に同じ時期に、皮のついたままの芋を与えた。最初はそのままかぶりつくが、土で汚れていることが解り川で洗うようになる。また食べようとするが皮の存在に気付き、なんとか歯でむこうとする。やがてそれが時間が掛かること、実が少なくなることを理解し、今度は岩で擦りつける……。その中には、更に鋭利な岩を探すモノもいたりするようだが、知恵は人間でもそれぞれ違う。問題は、その各地域の猿たちが、ほとんど同じ時期にその行動を覚え始めたことにある。誰かが教えたわけではないのに、である。(ちなみに昔、大阪・箕面の猿は100円玉を渡すと自販機でジュースを買った 選ぶ余裕はなかったようだが)

社交性・協調性を養う、子供達のコミュニケーションの中で広がる現象は不思議だが、情報・ツールが無くても僕達は充分に遊びを覚えられた。生きるための手段を身を以て知る・考えることも、僕等の時代には自然の流れで通る道だったはずである。しかし現代には、もう既に子供の身でありながら、家で情報を取り出せる、その知識だけは凄い。既に大人のように会話する、生まれたときからコンビニがある世代は、何かと感覚が違うのも仕方がないものなのか。

「○○的にわぁ〜、自分ナリにぃ〜、頑張りたいトカって思ってま〜す」と話すような若者がいたとしたら、それは全てモーニング娘のしわざだ。もちろん仕掛けた大人の責任でもある。志賀的には、気を付けることにしたい。


※志賀私的伝言板
【サッカー・ヴィッセル神戸の川勝監督が辞任した 同じ京都出身で、個人的に仲良くさせてもらっていただけに、神戸を去ってしまうのは寂しいことだが、4年?ほどの長い同チームの監督は類を見ない、とても熱い人だった 心から「ケツさん、お疲れさまでした!」と言いたい】


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