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日曜、店の終わりから家に着き、そのまま一気に昼の3時までPCの前にいた。どうしてもこの日までに仕上げたかったことがあった。お披露目は29日だ。一段落着いたので、仮眠する。
夜、再びPCに向かう。今度はデスクトップから、ノートを持ってリビングに行く。テレビで流すビデオは、全部観てなかった、サッカー・ワールドカップに紛れて行われていた、ラグビー日本代表の対韓国戦である。サッカーの韓国の勢いはラグビーにはない。仕事しながらとは彼等には失礼な話だが、結果を知っている圧倒的な試合に安心しながら、PCに没頭できた。
苑田・アンディ・ミラーの神戸製鋼コンビは抜群にいい。それはラグビーから退いて久しい僕にでも判る。Jスカイ解説の村上は、僕の大学の同期だ。その隣の小林氏の解説は妙にオタッキー(かなり死語)で、お前は歩くデータベースか!と突っ込むほど、記録を次々に話に出してくる。ラグビーに疎い人なら、たちまちチャンネルを変えてしまうだろう。
日本代表・苑田はいつも以上に髪が赤かった(と言っても、サッカー日本代表の戸田ほどではない)、ラグビーではまだ少ないことである。一昔前の日本スポーツの風潮は「練習中に水を飲まない」のような根性論をがなり立てていた。つまり鍛え上げた肉体には健全な精神が宿り、そこにファッション性や、外見の個性は必要ないとされてきた。特にラグビーにおいては多少緩和はされてきたものの、派手に雑誌に取り上げられることは頑なに拒否し続けてきて、今のラグビーがある。でも僕は、日本協会のパブリシティに問題があるとずっと思っている。
義務教育に見られる制服は、協調性や規律を養うには意味のあるものだったと思う。しかし社会に出て会社に入り、ホワイトカラーやオーソドックスなネクタイを身に纏うことは、社会に紛れ込むことである。個性を主張したときにそれを制する理由として、「規則だから」「前例がない」と、説得力のないことを言うのが世の中であることも事実だ。しかし、心療医学における「制服効果」(一連のサッカー過熱・川に飛び込む群集心理など)は人のバランスを保つように見えるが、それが反逆や戦争をも引き出した歴史に気付いていない。
さて、苑田の髪の話に戻ろう。彼と三宮でお茶をしながら話したことを思い出す。
「髪が茶色くて、今時の若者みたいな恰好の僕にも、やれる、出来るところを見せたい。子供や若い世代にもラグビーを身近に感じてもらいたい。目立つと言うことは、手を抜けないということですしね」
『デキル人』に、変わった人が多いのにはちゃんと理由があるのだ。
※志賀私的伝言板
【「変わった人」ってのは、言い方を変えれば『絶対的な個性』だ へんこ(偏屈)じゃないよ……ん?俺のことか?】
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