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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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昨日の日記は堅かった。かなり真剣モード(死語)であった。だからという訳じゃないが一日経ったので少し違うテイストの、素人ゆえの安定しない文体で続きを書かせていただこう。今日は長いよ。

「7月からは、日本ラグビーを応援しよう!」

これが日本を救う新しい策である。「いきなり、なんだ!オチなのか!!」とお嘆きの貴兄、そうではない。僕が思うラグビーについては、今まで事あるごとに書いてきた。僕の持論に「観客が監督の気持ちになってシミュレート出来る競技は、人気スポーツである」というものがある。「なんでそこでバントさせるねん!」「ゴンと秋田、出そうよ〜!!」など、似非監督がスタンドを飾る。(卓球やバドミントンがメジャーにならないのは、展開が早すぎて「観るには辛い、やるには楽しいスポーツ」の逆転の定義が変わらないからだろう)そんな意味で、ラグビーには充分に可能性があると僕は思ってる。

2/20日記の冒頭にもあるように、ラグビーというスポーツ特性そのものにも問題はあるかも知れない。確かに子供が公園で「2人で気軽にキャッチボール」とはいかないのもその一つだ。でも親御さん、ラグビーは一人一人の個性・得意分野において選択できる、何とも良心的なスポーツなのだ。そもそも意外と知られていないことだが、ラグビーは球技の中で一番人数が多い。その15人には、それぞれ明確なポジション(背番号で判る)がある。近代ラグビーは色んな役割をこなすプレーヤーが求められてはいるが、一般に大きな人がスクラムを組む「FWフォワード」、足の速い人が「BKバックス」と別れている。

FWの中にも、体重の重たい人(1・2・3番)、背の高い人(4・5番)、スピードのある人(6・7・8番)に別れ、BKは比較的小さくて器用なハーフ・9番と、司令塔とも言われるゲームを組み立てるスタンドオフ・10番、そして両サイドにはウィング(翼)と呼ばれる11番・14番の花形トライゲッター(2/20日記の大畑大介がそう)がいる。その間にいる12・13番はセンターと呼ばれ、ウイングにいいボールを供給したり、攻撃の要になったりする(ちなみに僕がよく「ブサイク」と言う、神戸製鋼・吉田明がそうである)。15番は最後の砦でもあり、BK攻撃に絡む豊かなバリエーションを担う役割も大きい。

ここまで書いて解ることだと思うが、ラグビーには攻守交代がない。つまりは息つく暇もない展開が魅力である。楕円のボールそのものと、横と後ろに投げながら前に進むという不条理さは人生に例えられる。いいプレーや怪我をして倒れた選手が起きあがるときには拍手や歓声が起こるものの、観客は「シーン」とした空気で見守るのが基本だ。僕はいつも試合会場に足を運ぶたびにアーティストの「コンサート」を思い出す。静聴の後には、賛辞とスタンディング・オベーションが待っている、あのクラシック音楽にも似た「品」のある空気感を思うのだ。

よく言われる『All for one,one for all(すべては一人のために、一人はみんなのために)』は、決してゴール・トライした人だけがクローズアップされるのではなく、それまでに下敷きになってボールを出した人がいる、最後に愛情のあるパスをくれた人がいる、そんな気持ちを知っているから決して一人で走り回ったりしない、みんなのゴールなのだ、ということを指している。どうですか、一度観てみたいと、そしてお子さんにラグビーをやらせたいとは思いませんか?

さて、やはりラグビー擁護派の僕は、昨日の伝言板にあるように日曜の「日本対韓国」の試合を録画した。寝たのが日曜の朝11時だったため、夕方の楽しみにと…。雨を感じるこの季節、起きるときには本当に背中や首が痛い。これもラグビーの残した勲章と思えば納得がいく。そして緊張感を持ってテープを巻き戻し、桜のジャージ日本代表の勇姿を観る……。

しかし映し出された映像はラグビーとは無縁の「氷川きよし」だった。


※志賀私的伝言板
【やだねったらやだね 録画に失敗したが、日本は圧勝したようだ 次回日本の戦いは7月6日、対台湾(国立) 14日、対韓国戦(ソウル) 21日、対台湾戦(台南) ホーム・アンド・アウェー方式で行われる】


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