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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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月曜からイイ天気で海にでも行きたい気分だったがそういうわけにもいかず、ただひたすら営業車(まだTVR帰らず)で街を奔走する。ハーバーランドに差し掛かる交差点、前方に何やら魅力的なヒップラインに出会う。「ア、ア、アストンマーチンDB7や!」007ジェームスボンドカーとして、名を馳せた英国のメーカーである。こんな時僕はまず運転席の人物が気になる。初老の紳士という風貌に安心する。決して、バカ者のような若者には乗って欲しくない。

この車、かなり優雅に走っていたものだから、営業車でも楽々追い越せた。フロントマスクを確かめるチャンスである。ほとんどバックシャン(死語・後ろ姿のいい)の女性を追い越してわざわざ顔を確かめるが如く、バックミラーを覗く。「う〜ん、ジェームス・ボ〜ンド」くらいに、チューイングボ〜ンであった。

DB7のフロントには、歴代のアストンやバンキッシュほどの際だった特長はない。しかしとてつもない存在感がある。これはフェラーリにも通ずる部分ではあるが、エンブレムを取り去っても「それ」だと解る車は素晴らしい。オーダー建築と、プレハブ住宅くらい違う。車業界のオートクチュールと言ってもいい。更にチューイングボ〜ンと言ってもいい。

個人的にはマセラッティも好きなのだが、近頃の3200GTやカンビオコルサのフォルムはいただけない。エンブレム(王冠のカッコイイやつ)がなければ、どこの国、何の車か解らない。そう考えるとロゴ・CIは非常に大切だと言えるが、エンブレムを見てから高級車だと理解してしまうのは、ブランドを前面に押し出すここ日本ならではの悲しい実状だ。さして年輪を重ねてないのに、これ見よがしにテーブルに置かれる(携帯もポケットに入る、しかも立ってしまう)ハンドル付きセカンドバッグが街に無くならないことを見ても明らかである。(あの人種は「自分の得意分野しか話を出来ない」人が多いようだ)

「自分がいなくても会社が成り立つ」なんて意識を植え付けてきた日本に於いて、自分自身がブランドになることは容易ではない。日本の会社組織の大半は、役割分担という合理的で平等な制度を作ってきたが、それは裏を返せば「部下に全てを任せると、自分の立場が危ぶまれる」ゆえの分担であり、個人としてのブランド意識など、実は蚊帳の外である。そして多くの人はブランドを外に求めるようになる。(しかし今は「あのブランドだから安心」という神話は『本当は怖い○○童話』のように覆される世の中であることを忘れている)

スポーツにも思うことがある。国の代表選手に選ばれたことだけに満足したりしていたら、メジャータイトルを一生取れないだろう。「光栄だ」なんて社交辞令、謙虚な気持ちはいらない。それが団体競技だとしても、役割が分担されたのではなく「絶対的な信頼に値する、個の意識」を任されているのである。「奥ゆかしさが美徳」は世界水準のスポーツには通じないと思う。

組織自体にブランドを求めて会社に勤めたわけではなかったが、僕は自分がブランドになりたくてスピンアウトした人間だ。だからいつも、テールからでもフロントマスクからも、一目で「志賀」と解る『個(Original)』でありたい。もちろんそれを乗りこなすのは、僕自身である。


※志賀私的伝言板
【日本側空港の騒音規制のため、サッカー・カメルーン代表の来日が遅れている 26日には神戸でイングランドとの親善マッチを控えてるのに大丈夫か のんびり「亀る〜ん」やな】


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