www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
5/19「草稼業、志賀でございます」 バックナンバー >>>
土曜からの雨のせいで、今日予定していた知人の草野球応援を止めた。せっかく、天気が良ければ上半身裸でチアボーイをやろうと思っていたのに、残念である。たまっていた仕事をやることにした。

「草野球」なぜそう言うか?辞書によると『草−−』とは接頭語で「素人が集まって(原っぱなどでやる)本格的ではないものであること」他に、草相撲、草競馬などに用いる。「草競馬」なる言葉、僕の記憶によると小学校の音楽の時間に唄った曲名のようだが、大昔にはそんな躍動的な光景があちらこちらで見られたのだろう。原っぱで競馬、なんと優雅な貴族のようである。

原っぱなど、現代都会のどこにあるのだろうか。そもそも「原っぱ」とは、「原(平らな空き地)」の幼児語である。つまりそこは、子供達が集い、日の暮れるまで泥だらけになって遊ぶ彼等の聖域だったはずなのだ。しかし現在彼等の原っぱは手の中、コンピューターゲームに形を変えてしまい、草野球は大人の専売特許でしかない。しかも人工的に作られた場所でしか「草スポーツ」は成り立たないでいるのが現状であるから、その言葉自体は死語になりつつある。

それはともかく、前述の「草−−」の説明で『本格的ではないものであること』という箇所が気になった。そこから考えるに決して本物であってはならず、プロフェッショナルの存在がその先にあるがゆえの「草」でなければならない。プロにどこかで憧憬の念を抱きながらも、いつも「草」にはスポーツにおけるプレイヤー(Play・楽しむ)の本分が根付いているのである。(プロであれアマであれ、根本にこの気持ちは必要不可欠であるが)

「バーテンダーは政治と宗教の話しをしてはならない、女性の話題を自分からしてはいけない」これは、僕がホテルにいる頃に教えてもらったことだが、今の僕は見事にそいつを守っていない。ただ言えることは、楽しんでやっているに違いないので、僕は「草バーテンダー」ということなのだろうか。

いやそれもそうなのだが「志賀」は商売がかなり下手なので、草稼業の方がピンとくる。神戸加納町は僕にとって、ずっといつも『原っぱ』なので。


※志賀私的伝言板
【朝の滝のような大雨も、午後からは晴れ間を見せた神戸 ほんま天気ってわからんもんやね 昼寝しよ(ってもったいないがな!)】


Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga