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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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阪神タイガースの調子がいいと、三宮に人が少ない説はまんざら間違いではないらしく、今週の店はずっと静かだった。木曜は、なぜか賑わったがそれも各席にいるお客様の「気遣い」によってそつなく終えることが出来たのだ。そしてまた週末を迎えることとなる。

ふと4日、実家に帰った日のことを思い出す。実家には母と弟がいるのだが、二人の間にどうも会話が無い。弟はいつも無愛想だ。僕との共通の話題は、スポーツか、車か、映画か、松本人志に代表されるお笑いネタで結構盛り上がることが多いが、母にそれを求めるのは酷というものである。よって、僕が京都にいないときの二人の空気がとても気になった。

6日の日記にあるように5日、僕は通った小学校の近くを歩く。そこに母を久しぶりに近所のスーパーに連れ出したのだが、歩きながら「尚哉(弟)とうまくやってんのか?」と問うと「あんたにはどう見えたか知らんけど、あれで結構ええとこあんねんで」と笑ってた。僕とは違って、言葉で表現するのは苦手な弟のことはやはり親である、母が一番解っていたようだ。

家族、友人、異性、夫婦、そして僕で言えばお客様との関係に於いて「気を使い」始めることは、何だかぎくしゃくして辛い。しかしそこに自然と滲み出る「気遣い」があれば、その間柄は尊く、深いものとなる。

5日のその散歩中に、母がポツリと言った。

「あぁ、あの爺ちゃんの日記、下鴨の仏壇にずっと置いてたんやけど、一年経ったから持って帰ってきたわ」

今までに何度も書いた、日記特別編「僕と爺ちゃん、ガラクタと長靴」のコピーを、爺ちゃんが逝った(昨年2月)年の5月に母に渡したのだが、知らぬ間に婆ちゃんの元に持っていき、仏壇に置いていたらしい。僕も渡すとき、母だけが見ればいいと思っていたし、母もわざわざ仏壇に置くことを言わずにいた……。

何だかこのときに「母親なんやなぁ」って感じた。これが「気遣い」なのかと納得しながら、それ以上お互い何も言わずに並んで歩く。言葉にせずとも解り合える歳になったということか。通い慣れた小学校が昔より小さく見えた。


※志賀私的伝言板
【6/2神戸製鋼SteelersのBDT(ブリーフ・ダンシング・チーム)の最後の錦を飾るダンスに、関西外大チアとの競演、ぜひ実現させたいのだが章恵ちゃん、理香ちゃん難しいかな?いっそのことその日、全員で校外練習しに来たら……?】


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