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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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京都から神戸に戻った5日の夜。店では、ご予約の卯目くん親子の温かさに触れ、南條賢太カップルのノロケに付き合わされる。僕の幸せはイズコへ…。

こどもの日の京都は穏やかな天気。昼、通った小学校の辺りを歩いてみた。ほとんど変わらない道、寺、街並みに時間が止まる。昨日の私的伝言板で書いた「京都は変わった」について、もう少し書いてみる。そう思った理由はいくつかあったのだが、最たるものは「スターバックス(以下スタバ)」の存在だった。

僕の記憶によると京都のスタバ(これでいいのか?バックスではないか?関西マクドと関東マックみたいに…)は、三条大橋西詰め北側の店が最初のようである。アレはなかなかいい、鴨川沿いのロケーションが「ならでは」である。しかし4日、五条烏丸から烏丸御池、そこからまた烏丸経由で四条河原町を車で抜けるまでに、4軒のスタバがあった。その間隔は遠い距離ではない。

そこにある必然性は全く感じられない。街のコンビニに似た拡販計画は「空き物件があったら、全部埋め尽くす」ように増殖する。神戸にもこの現象は感ずる。僕の勝手な解釈だが、アノ店は「他になかった」からよかったのだと思う。ありすぎると、そこに価値はあまりない。しかしこの意見に相反して、利用する人が存在するのは紛れもない事実だ。

まず、アノ手の店の利用価値を考えると解りやすい。キャッシュオンデリバリーの手軽さ、干渉されないコンビニエンス感覚。たった一杯のコーヒーで長居でき、ソファー席には「待ち」が出る。禁煙なので喫煙者には辛いようだが、クリーンなイメージは付いて回る。待ち合わせ、時間潰し、挙げ句に身代金の受け渡し、不倫の密会は目立たない、何でもござれである。但し、先日仕事の打ち合わせで利用した際に僕は遅れたのだが、キャッシュオンのためお詫びにごちそうする事が出来なかったので、仕事のミーティングには不向きだ。

そう言えば、今時のカップルは「男性がごちそうする定説」が覆されているのか、待ち合わせにでも平気で使うように見える。ゆえに若い人が多いのも頷ける。その理屈から言えば、あまり興味がない異性、うっとおしい相手との待ち合わせはスタバがいいかも知れない。わざわざスタバで待ち合わせをして、遅れて来る相手がいたらアナタは本命ではないと心得よ。さて、話を戻そう。

需要があるのだから否定はしない。でもそんな店を見る度に自分の通った学校や、公園などの遊び場が無くなっていく寂しさに似たものを感じる。僕の目に映る「京都でなくちゃならない」ものの存在はやはり嬉しい。古い家屋を利用した店は、祇園やそこいらには見られるようになったが、当初の着眼点は良かったと言える。先駆者はいつの時代にも勇者である。着いて行くのは簡単だけど、引っ張って行く、突き進んで行くのには相当なパワーがいることであろう。

今、スターバックスは時代を引っ張っているかも知れない。でも『残る店』を作っているとは思えない。残る店とは「作る」ではなく「創る」の方がしっくりと相応しい。想像して欲しい、都道府県に一つずつディズニーランドがあったなら、その価値はやっぱり無いに等しい。「作る」だけなら前例の模倣を繰り返すだけで、工作であっても創造ではない。街や町を壊して行く作業でしかない。そしてもし仮にそんなことになったとしても、これだけは言える。

僕はジェットコースターだけには、死んでも乗らない。


※志賀私的伝言板
【久々にオチで失礼 でも、一人でPC広げて仕事するにはスタバもいいかもね】


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