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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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月曜快晴、大阪にいる。大胆にも朝食を取りながら、日記を書いている。近頃、仕事やプライベートに煮詰まっていて、気分転換を図る意味で日曜から今に至る。僕は作家でも、ライターでも、エッセイストでもないが、ホテルに籠もって作品を絞り出す彼等の気持ちを垣間見たかったのかも知れない。実際色々収穫があった。それはまた何かに反映したいし、形に出来るだろう。

先日のテレビでは演歌歌手が懐かしのポップスを唄っていた。いつもなら、すぐにチャンネルを変えるのだがそれが演歌ではなかったので暫し見入る。別に演歌が嫌いなのではないが、わざわざ聞くことはない。日本人の心「演歌」を解るのはまだ早いと思っている。少なくとも今は…。

所謂Jポップを唄う人は、ほとんど演歌を歌えないと思う(過去、長山洋子がそれで路線変更出来た)が 、演歌歌手はポピュラーも器用に唄うことが出来る。演歌を歌う人が「基本」「表現力」を持っていてオリジナルで勝負できる人達だとすれば、昨今の売れ線「下手巧(ウマ)」を受け入れる今の時代にリリースを続ける彼・彼女達は、記憶に残る事への術をはき違えているように思えてならない。

こんな話を聞いたことがある。CDはテープのように曲を途中から聴くことが出来ないから、近頃の曲はサビを最初に持ってくることが多い(一部除くが、小室系やつんく系はそんな感じだ)。視聴する際にも、すぐに耳に入る。CMにもわざとその部分を使う。そして「一時的な記憶」に残り、爆発的に売れる。しかし演歌に顕著に見られるように、昔のレコード時代はまさに「起承転結」があり、いよいよ来るサビをワクワクして聞き入ったものだった。

このデジタル化の人間味を忘れた波は、おそらくワールドワイドに言えることだ。グラフィックやデザインの世界にもそれは見え隠れする。「今売れるもの」と「継続・永続されるもの」とは違う。僕の店や、僕の生き方が「そんな」だから、決して「ポップ」にはなれないのだろう。今の僕にとって演歌は違うところに存在するが、僕の人生に於いての「サビ」はまだこれからだと信じている。


※志賀私的伝言板
【久々の大阪だから、ブレーン卯目くんとランチでもするか!】


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