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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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小学校以来くらい滅多にしない写真の焼き増しを受け取りに行った。その帰り、迂回のため一本東に入ると、二宮。三宮と南北のフラワーロードを挟んで東は、いきなり下町の僕の好きな風景だ。小さなレコード屋(今時の言い方ではないがこの方がしっくりくる店)のポスターに「ACCESS、リニューアルアルバム」とある。あぁ、あのB'sみたいな人達ね、と通り過ぎる。

僕の生半可な記憶によると、二人組の彼等は一度ソロ活動をした。背の高い方は、なんか違う方向に行ってた。そして再会(再開)、今は微妙に変わったのかも知れないがデビュー当時と同じ音楽をやってるみたいだ。おそらく、彼等はデビューしてとてつもなく売れたのだろう(僕が知ってるくらいだから)。そして余裕が出来た。ちょっとソロをやってみたくなった…。

それを「音楽性の違い、方向性の違い」という理由で「解散」ではなくあまり潔いとは言えない「活動休止」を選ぶ。よく、店に来るダンディズム漂う会社役員さん達に言われることがある。「僕も、隠居したらこんなバーやってみたい」と。僕はいつもこう返す。「余裕が出来てからやることと、思ったときにやることとは違いますよ。だから『こんなバー』は絶対出来ません」と。

宝くじが当たってからやることにもロクな事がないと思っている。突然の裕福は、心身共に裕福ではなくて、積み重ねがない。確かにお金があれば、TVRタスカンSpeed6やマセラティスパイダー・カンビオコルサも欲しいが、今の僕ではそれらを乗りこなせないだろう。服に「着られてる」人にはなりたくない。

あんなことやりたいと、夢や希望に向かって今を生きる。これは素晴らしい。しかし背負うものがあってやることと、リスクを考えなくてもいい状態とは全く違う。去年の秋くらいに、編集者・青山ちゃんから何冊か借りた本の作者、今は亡き景山民夫は、ことあるごとに別れた奥さんの慰謝料をネタにする。恥ずかしながら初めて読んだ彼のあの文体を見て「あぁ、口語表現もアリやな。サイトの日記も今まで通り行こう」と感じたことを思い出す。背負うもののためにという訳じゃないが、彼は働きまくった。そして散った。

お金・家族・過去・リスク…何も背負わずに生きる人にはあまり興味がない。
少なくとも僕は見事に背負っている。でも例え、まかり間違って凄いブレークが来て余裕が出来たとしても、やっぱり毎日店に立ちたい。

僕は気が付いたときからずっと、ソロ活動やからね。


※志賀私的伝言板
【そう言えば、あの本もずっと「借りっぱ」だな ということは、JBの言う「ゲロッパ」は「ゲロ吐きっぱなし」という意味か……?】


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