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久々に、頼くんが来てくれる。彼のお兄さんとは京都時代からもうかれこれ20年近くになるが、30歳になった彼とは、僕が神戸に来たお陰で数年前に出会えた。彼は本人の言葉を借りれば、かなりの「志賀サイトチェッカー」であるようだ。
もちろん日記ネタにはとどまらず、話はラグビーのことにまで及ぶ。経験者である彼や僕の思うラグビーについて熱く話す。そして再びサイトの話。新しい企画として「寄稿」コーナーを設けては?と彼から提案がある。なるほど、僕のサイトには様々な人が顔を出す。しかしその素顔、その言葉は見えない。「ほんまに、神戸製鋼知ってるのん?」と言われても今のままではただの妄想である。
ひとまずそれは懸案事項として、今回はふと人の文章を勝手に使わせてもらうことを思い付く。以下の文章は、3月2日の日記から書いているように、近頃落ち込んでいる僕に来たメールの一部である。本人は嫌がるかも知れないが、僕はとても嬉しかったものである。
『ああいう風に自分がへこんでいることをストレートに表現する志賀さんは初めてだったもので…。ここで何か気の利いた言葉でも掛けれればいいのですが、浮かんでくる言葉のほとんどが、志賀さんとの会話で生まれたもの。それだけ僕に影響のある人が、落ち込まないで下さい(笑)。簡単に“元気出してください”とは決して言いません。いつでも連絡待ってますよ!!!』
『志賀さんらしくないと言っていいのか、今の姿が志賀さんらしいのか、解らないですが………そういう時ありますよ、なんでも力になりまっせ!!
僕は志賀さんを見てると、がんばってるなぁ、元気やなぁ〜って思います。良い歳のとり方してますよ!歳をとって経験するのもまんざらではないなぁ〜って思います。志賀さんみたいに、だから、僕もいつも、輝いていたいし頑張っていたいんです!いつかは、無理になるやろうけど………。
志賀さんに会いに行って元気をもらってる人がどれだけいるか!へこんでる事がどんな事が解らないですけれども、パワー志賀で乗り越えてください』
この2通のメール以外にも、励ましのメール・電話・来店があった。いつかのサイトレスポンスチェックなど、消し飛んでしまうほどの反応を感じた。僕が落ち込んでいるのを知っていて、自分の悩みをうち明けてきたラグビー選手もいたが、それも彼の優しさだと思った。
今までの日記、そのバックナンバーを読んでみようと思う。僕が復活するヒントは僕がどこかに書いていたような気がする。まさに「志賀自賛」……。
志賀的街の風景10
『鳥羽国際ホテル』:僕はヤマハリゾートのここに勤務していたことがあるが、このホテルは馬鹿に出来ない 僕と同じ昭和39年に、岬の頂上に建てるという当時には珍しい観点でリゾート展開した、YAMAHA・川上源一会長の先見の明は、間違いではなかったと思う ここから見える、鳥羽湾の島々 天気が良ければ、愛知の知多半島や伊良湖岬、三島由紀夫の「潮騒」で有名な神島も見える またいつか行きたいものである(ちなみに『街の風景』というよりは『町』である)
※志賀私的伝言板
【カホリちゃん、アンタの腕前最高だ!元気が出たよ、サンキュー】
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