www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
2/28「神戸加納町、シガーバー」 バックナンバー >>>
朝である。雨である。まだ店である。なぜ店にいるかというと、さっきまで始発を待つ大阪の女子大生2人とトランプをしていた。ウハウハである。この子達のことは、またいつか書くことになるだろうからここは伏せておく。今言えることは、とてもいい子達で、今後を見守ってゆきたい、そしてこちらも頑張らねばと思う、そんな出会いを感じたということである。

さて突然、以下を見てピンッとくる人はいるだろうか?

『○○○・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・クリスピン・クリスピニアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダッド・ルイス・イ・○○○』

これは、朝日新聞の夕刊に載っていたので簡単に解る人があるかと思うが、ある偉人の名前だ。何で長い名前なのか、それはそれなりに理由があるようだが、僕が感じたのはそのポイントではない。彼は生まれたときに息をしていなかった。医師の叔父が機転をきかせて吹きかけた「葉巻の煙」で何とか息を吹き返したという、このエピソードに「おもしろい」と思った。

僕が葉巻を知ったのは、あるバーテンダーからである。それから僕なりに調べてみた。何かを語るには、それ相応の知識と知恵が必要である。それによると、葉巻・シガーという代物は、明らかに煙草・シガレットとは置かれているステージが違うようだ。子供が産まれたから、とてもいいことがあったから、シガーはみんなに振る舞われる。決して、イライラするから、口が寂しいからと言って吸う物ではなく、「薫らす(くゆらす)」という葉巻独特の方法で、肺に入れずに『時間と気持ちに余裕があるときに』楽しむ物である。

そう言えば、昔ゴルフのジャンボ・尾崎(この名前はいかがなものか…)が海外のツアーで、煙草をくわえながらスイングするのを、現地の新聞に叩かれたことがある。しかしながらシガーを口に、ウイニングパットを沈めるメジャー・タイトリストは何も言われない。やはり、ステージが違う。

若輩者ながら僕も少し嗜む。僕は元々タバコを吸わないので、以外とすんなりその世界に入れたようである。いい葉巻には、例えばドラマ・ギフトでなぜかキムタクがくわえていたことで有名になった「COHIBA」、アーネスト・ヘミングウェイが好んだ「MONTECRISTO No.2」などがある。どちらもシェアが高いキューバ産だ。30〜40分掛けて薫らす物ではあるが、どちらにしても高価だし、その背景からまだまだ僕には早い気がする。

シガリロという、煙草のように細く小さな物を良く口にするのだが、その煙と香りでも充分に、大人の世界に足を突っ込んだ気になる。至福の時という表現は、まだ照れくさくて言えるものではないが、僕は男の時間の過ごし方、その一端を少しずつほんの少しずつ味わっている。そういった意味でいうと、生まれてすぐに葉巻の煙で息を吹き返した赤ん坊は幸せであったと言えよう。

その後、この世に大いなる足跡を残した彼の名は
スペインの画家「パブロ・ピカソ(1881〜1973)」その人である。


志賀的街の風景3
『兵庫突堤』兵庫区和田岬中の島浜側d神戸に住んで10年ほどになるが、この場所を知ってまだ間もない サッカー、今はジェフの長谷部がヴィッセル神戸にいる頃、釣り好きの彼を迎えに行ったのがここだった 倉庫が建ち並び、長い突堤が海に横たわる所謂、埠頭というところだ 夕方にはどこからともなく車が海に向いて停められ、カップルがイチャつく そこに初めて着いたとき、海を眺めながら上田正樹の「悲しい色やねん」が頭に流れ、「太陽にほえろ」の事件が一件落着した後の『晴海埠頭』で片足を上げてポーズする、石原裕次郎を思いだした、まさに港神戸を意識できるスポットである

※志賀私的伝言板
【今日の日記は長い! はよ帰ろう…】

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga