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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
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店が暇な火曜日。ブレーン卯目俊太郎と宮西姐さんとで、ラグビーをもっと色んな人に観てもらうには…などと話し合う。

ラグビーはクラシック音楽と似ていて、世界に潜在的に熱烈なファンが存在している。そのストイックな部分と侵されないアマチュアリズムとが、特にここ日本ではメジャーに成り得ない要因になっているように思う。今始まっている、シックスネイションズ(6カ国・イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、フランス、イタリア対抗ラグビー)を一度、民放のゴールデンタイムでやってくれないか、さすればその凄さが解るはずである。しかし、ワールドカップをCSでしかやらないスポーツは、聖域に近い。

そういう意味で、大畑大介の「筋肉番付」での活躍は目を見張る物があり、そのきっかけとなるはずだった。知らない方に説明すると、TBSで毎年正月にやっている、スポーツ選手を一堂に会し得意分野で競うのではなく、多種多様な競技によって能力を測る番組だ。比べようもない相互のスポーツ、その潜在能力に答えを見いだすことが出来る。(それで言うのならば跳び箱を跳んでいた池谷弟はかなり不快であった)

2〜3年前からオファーがありながら、スケジュール的に12月の収録には無理のあったラグビー選手大畑は、2001年1月1日初めてプロスポーツ選手混じり、優勝という結果を残し周囲を驚かせたと共に、日本ラグビーの歴史の中で快挙とも言えるラグビー選手のフィットネスの高さを世に知らしめた。僕も実家で観て、喜びと共に「来年は大変だな」と妙に冷静になったことを覚えている。

そして2001年12月、ディフェンディングチャンピオンの大畑は当然のオファーを受ける。撮影は東京幕張、12月13日朝7時から深夜まで及ぶ。しかし、大畑には問題があった。12月15日に控える全国社会人選手権一回戦、相手はそれなりにタイトな試合が予想されるリコー戦。当然収録日は練習日であり、WTBポジションのキャプテン増保と平尾の故障という状況もあった。怪我をされては堪らない。一般視聴者にラグビーを身近なものに感じてもらう手段の一つとして欠かせないものだったはずだが、11日神戸製鋼は局側に一旦断りを出す。

12日、夕方6時。TBSの担当ディレクターから神戸製鋼広報に連絡があり、8時には訳の解らないまま大畑は関空から東京へ飛び立つ。用意されたスイートルームに一人、エアロバイク、大きな風呂に驚きながらも深夜1時、朝7時には現場に入らねばならないため床に就く。そして過酷な筋肉番付は幕を開けた。

テレビでは今年の1月1日の放送。オープニング種目でケインコスギには抜かれたものの、大畑は華々しくチャンピオンの風格を漂わせた。続くビーチフラッグでも上位を占める。しかしここで、画面にはしばらく登場しない大畑に視聴者は疑問を抱いたはずである。そして後半突然、残る2種目に再登場した大畑は、最後に世界記録更新を叩き出し、室伏、ケインに次ぐ3位となった。

その答えは明確である。大畑は前半2種目をこなした後、車に飛び乗り飛行機で関西に帰った。そして神戸製鋼、午後2時からの練習に参加する。待たしていたタクシーに乗り、再び関西空港へ。東京に着いた頃には、物理的にも体力的にも無理があったかも知れない大畑は、残る2種目に再び参戦する。驚異的なスピードは、大リーグマリナーズ、マイク・キャメロンに「シショウ(師匠)」と言わしめたそうだ。しかし世界記録樹立にも、一瞬で場面は表彰式に移る。しかしその背景を実況は一言もコメントせず、デジタルカメラで追いかけた神戸・東京往復の映像も使われずに終幕となった……。

ここに書いたことは事実に相違ないが、多少僕の主観も入っているかも知れないし、その責任は僕にある。ただ言えることは、全種目出場した「世界陸上銀メダリスト」と、「業界内最強と呼ばれる芸能人」との戦いを『数字の取れる演出』と判断する、それがメディアというものだとしたら、やはりラグビーはストイックなほどに聖域であった、と知らされたことだ。

子供達がラグビーごっこをし「俺、大畑役な!」とヒーロー役を取り合うような光景は、まだ遠く悲しい現状であるのか。悔しいなぁ、大介よ。

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