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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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土曜の店が終わって、そのままほとんど寝ずに朝の新幹線で東京に向かい、3時間の車中もしゃべりまくり、試合を観て夜に合流、朝まで過ごし、またほとんど寝ないで神戸、そして店を開ける。限界だ…。眠ればいいものを、感情的に熱いものが込み上げてすぐに形にしようと、月曜分の日記を立ち上げたのが火曜の昼12時。夕方まで寝ようとベッドに入る。

起きる。午後8時……ハ・チ・ジぃ〜!!そんなアホな、の8時である。店に着いたら9時。こんなバーでいいのか?どう思う、お客様よ!!

さて日曜の夜のことを書く。もちろん個人の名誉とプライバシーに関わることだから一部である。グラウンドを後にした夕方、サッカー選手2人と渋谷に行く。神戸製鋼のメンバーは会社主催の慰労会?だし、その後街に繰り出す頃には連絡もあるだろう。いやあるはずだ……。いや、なかった。4時間もなかった。

僕はまず、この日こっちに来ていた新聞社で働く高木くんに電話を掛ける。「チームが負けたし、もし僕が参加してもいいんやったら誘ってくれ、と伝えて」と選手には連絡は控えた。ところが4時間、渋谷の若者に紛れお上りさんのようにしゃべりまくる間にも電話はない。堪りかねて僕は、高木くんに「もう神戸に帰るわ!」と一方的に電話を切る。夜行バスで帰る気はないが…。

すぐに何件も彼からの電話。大人げない僕は出ない。すると今度はSteelers南條賢太から。これも何度も掛かるが出ない。おいおい、俺をナメルナヨ!神戸製鋼!!萩さん(ヘッドコーチ)か、平尾(誠二)GMからなら考えなくもないぞ…。と、そこにブサイク?吉田明から。顔面複雑骨折、いや基、額から頭蓋骨の骨折に免じて僕はやっと電話に出た。かくして僕は西麻布に向かっていた。

さぞかし素晴らしい歓迎の言葉と共に「志賀さん、よく来てくれた!」とVIP扱いの待遇を期待しながら2階に上がる。店に入る。南條賢太が「神戸からチョコボールが来ました〜」と訳の解らない紹介をする。スクラムハーフ苑田は「おい!志賀、飲めコノヤロー!」と言う。アンディー・ミラーは「Fuck'n Shiga BAR〜」と東京の女の子に言っている。これは酔うが勝ちである。

次の店で一瞬寝てしまう。そして突然起きて語り始めると僕は、やはり泣いていた。伊藤剛臣が「志賀さん何で泣いてんの?」と笑う。その次の店で、遅れて着いた僕に「志賀さん、サングラスちょーだい」といきなり大畑大介に奪われる。そこでツブれた小村をマミオくんと、ヴェルディのタクちゃんとで担ぎ出し、ホテルに着いて車椅子を借りて部屋に放り込む。僕は途方に暮れて、タクシーに乗る。そのまま近くのホテルに泊まる。こんなやつらと同じホテルはごめんだ……。

何度も言うがこれは一部である。あっそうそう、最後に一つ。帰りの東京駅で一緒になった、平尾剛史、神本、森藤と共に新幹線の指定を取ろうとした際、平尾が「チケットがない!」事に気付く。すかさず神本が「そう言えば昨日あの地下の店を出るとき、床にチケットが落ちてたので『誰か落としてます?』って聞いたら『俺んだ、俺んだ』って剛臣さんが持って行きましたよ」と言う。すぐに僕は、伊藤に電話を掛けて聞くと「あっ、2枚ありますわ。10分で持っていきます!!」とたまたま実家を訪ねていた伊藤剛臣と連絡が取れた。奴は2枚のチケットを見て不思議に思わなかったのか?やはりこいつはどこか可笑しい。

とにかく東京に行って分かったのは、僕がグラウンド以外では涙もろいこと、体力の衰えを見事に思い知ったこと、そして……。

『神戸製鋼Steelers』とまた関わってゆきたいと再認識したことである。


志賀History「Y」
『Y's for men』dヨージ・ヤマモトのブランド 学生時代、バイトしていたカフェによく来るワイズの店長さん、そのコーヒーの飲み方がかっこよくて… 今では好きなブランドの一つだし、その飲み方も自然にやっている
僕ももうそんな年齢になったんだな……

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