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■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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夕方、食事に入った店。何気なく見上げたテレビでは、震災関連の番組が…そこに映る小学生達の合唱。僕には聞き覚えの無い曲だったが、隣のテーブルで母親とチャーハンを食べている男の子が一緒に唄ってる。これは何の曲なのだろう。

僕はいきなりその子に聞くのをやめて、店を出るなり先輩の家に電話した。小学生の洋平くんがその答えを教えてくれる。震災から間もない神戸の小学校教師が作った曲、「しあわせ運べるように」。今では毎年一月には神戸の小学生がこの歌をみんなで唄っているらしい。

おそらく震災のあの日、さっき食事をした店で唄っていた子供は赤ん坊だったはずだ。震災の記憶など無いのだろう。しかしこうして歌という形で受け継がれているのだ。その時僕はこんな歌を思い出していた。

「ふるさとの街焼かれ 身寄りの骨、埋めし焼け土に 今は白い花咲く あぁ許すまじ原爆を、三度(みたび)許すまじ原爆を われらの街に」

中学の頃、修学旅行で行った広島でガイドさんから教わった歌だ。なぜか、まだメロディも覚えている。当然知る由もないあのB29による原爆投下のひどく悲惨な出来事を、こういう形で僕もまた人に伝えているのだ。

第二次世界大戦、そしてそれ以前の戦争も、あらゆる天災にも、深い傷跡を背負いながら生きている人が存在して、それは時の経過と共に「やっと見せられる笑顔」であったり、「亡くなった人の分まで人生を全うする使命への気付き」に形を変えて街の活気となる。そして次世代にも伝えられていく。

子供がその歌を唄いながらチャーハンを頬張る姿を見て、母親が叱った。
この日だけは最後まで唄わせてあげればいい、僕はそう思った。

幸せを運べるように…。


志賀History「K」
『KOBE』?神戸へは、今から10年ほど前に大阪から移り住んだ 海・山・川までも共存する美しい街並みにここまで復興した神戸
今日の日記をそんな神戸に対するオマージュとして捧ぐ……

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