www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2002
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
1/12「予告!来る13日の日曜日をデザインする」 バックナンバー >>>
風邪を引いてしまった。3時に神戸製鋼のグラウンドに顔を出す予定が、4時まで寝込んでしまう。せっかくの打ち合わせ?がパーである。電話をすると、寮にいるというのでSteelersキャプテン増保のいるそこに向かった。

寮の駐車場に着くと、丁度帰ってきたフランカー小村に会う。もう30をとっくに越えている彼は、今も神戸製鋼に無くては成らない老獪さである。しかし、未だ独身寮に住んでいるとは「君も早よ家族寮に行かなあかんで」と言う僕に「志賀さんに言われたくないわ」と返される。もっともである。

寮の4階には苑田・大畑・桑原のバックス連中に混じって、なぜかFW南條賢太の部屋もある。その階の一室に増保の部屋はある。不思議と大量にある風邪薬をもらって、しばし話す。それは僕にとっては一世一代のある企画・企みだった…。


以前「年中ムキューっ」コーナーに書いたように、僕は昼の顔を持つ。ある部分それは『デザイン』と言えるモノだ。そこで書いていることに重複するが、「デザイン」とは日本語で『謀る・目論む・企てる』ことだ。「これ、私がデザインしたの」と若い女性タレントが言っているのを耳にすることがあるが、本来の意味の「デザインワーク」とは言えない、個性のない物ばかりである。デザインを違う世界に置き換えてみれば、例えば「試合をデザインする」と使うことも、あながち遠からずである。

以前、SteelersNo.8・伊藤剛臣にこんな話をしたことがある。「選手は試合に出るにあたって、こうしたい、こうすべきだと自分の思い描くイメージを持つだろう。それは例えチームが試合に勝ったとしても、自分に満足できないプレーだったなら意味がない。使い方としておかしいことかも知れないけれど、それは君にとってそのゲームをデザインメーク・つまり自分の企みや目論見が実現できなかったとも言えるわけだ……」

伊藤タケは、それを僕の店に来る度に隣の人に切々と語ろうとするのだけれど「デザインとは謀略なんだよ」と岡本太郎ばりにイキナリ言うものだから、すぐに「志賀さん、あとはお願いします」と言い、僕がいつもフォローしなければならない。まぁ、彼が饒舌ではないから魅力があるのだが。


寮の部屋で、増保と交わした約束。それはもちろんのこと13日の決勝、サントリーを破ることにあるのだが、そうなれば僕にも訪れる「何か」に今から緊張している。もし、テレビで観戦される方がいるのなら最後まで見て欲しい。

そこには、また違った意味で「デザイン」される、
そう志賀の企みの一角が顔を出すはずだ。


志賀History「F」
『Feeling Couple 5vs5』dやすし・きよしの司会「プロポーズ大作戦」の名物コーナー 所謂、後の「ねるとん」にも通ずる、公開集団お見合い 1番リーダー、5番は「ボケ」役が常で、自己紹介から質問コーナー、自己アピールを経て相手を決め、相思相愛でカップル成立 関西ローカル番組から全国へ発信・大成功を納めた「ラブ・アタック(横山ノック&上岡龍太郎司会)」同様、学生参加型番組は全盛だった あの頃のバラエティーは『暖かさ』が溢れていた

Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga