www.bar-shiga.com
■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
ホーム >>>
12/17「ホットする瞬間 その相手について」 バックナンバー >>>
16日・日曜の朝。社会人ラグビー、土曜の結果は選手の来店により知っていたが、僕はこの日の新聞の写真にSteelers吉田明が写っていたので、思わず切り抜いて壁に貼った。こうやってベテランの勇姿が部屋を飾ることは嬉しい。ぶさいく?だが応援している。

午後からは、その神戸製鋼苑田と平尾がMac購入を考えているというので「ソフマップ」に付き合う。色々考えた挙げ句今日は手に入れず。ほとんどMac信者となった彼らは年内にはそうなることであろう。夜からは「Real Thing」の3周年パーティに行き、そこで同チーム南條賢太も合流。男4人で「伊達男前夜祭〜プレプレイボーイナイト〜(10/24日記参照)」を語り合う。ここでのプレーボーイ度は僕に分があった。

その後そのメンツで六甲にあるブレーン永田邸にお邪魔する。旨い鍋をいただく。かなり飲み食いする。南條の猪木ネタは、プレステ2に敵わなかった。しかし皆楽しそうだった。深夜、それぞれ帰っていく。残ったメンツは、家主永田氏・そのご近所の恰幅姉さん宮西嬢・永田氏の後輩ゆんちゃん・バッテリー神野、そして僕。朝まで話し込む。人の上に立つポジションのそれぞれの思いを語り合っている。僕は基本的に一人であるから楽かもしれない。苦しさも楽しみも全て自分次第、しかし彼らの話もよく解る。そしてふと宮西ちゃんが言う。
「志賀さんって誰といるとほっとするの、落ち着くの??」

彼女から見ると僕は一人でいつも突っ走っていて、自分を曲げない「へんこ」な37歳に見えるようである。そこに安堵は無いイメージか。あながち間違いではなく、それは自覚している。人はその質問でこう答えることが多いように思う。『家族、親族、恋人、ブレーン、同じ釜の飯を食った仲の人間…といるとき…』僕は違っていた。「子供といるときかな」少し考えて僕はこう返した。そして家に帰った今、もう一つ思い付いた。「老人と接するとき」もそうである。

小さい子供には「後何年か会わなければ、もう僕のことを忘れてしまうのかな」と思い(僕にも思い出せないおじさん達がいる)寂しい気持ちをどこか抱くもので、方や年老いた人が身内なら尚更「別れの寂しさ」を意識しないではいられない。この対極とも言える子供と老人には、ある意味刹那的な僕の生き方に近いものを感じる。前述の『家族、親族、恋人…』は、またいつか会えるという『便りがなくても元気な姿を思い描ける』安心を備えているのではないか。また鍋会に参加したいし、楽しかった。刺激も一杯もらった。でもそれは「ほっとする」という言い方とは少し違う様に僕は思う。

確かに僕は走っている。肩にも力が入ってるかもしれないし、商売人ではないのだろう。過去にも未来にも捕らわれず一瞬を刹那に生きるのなら「落ち着く」ことはそう多くない、まだそういう時期ではないということだ。


諺・志賀語録「ぬ」
『ぬぁんと!缶コーヒーがこんなに…』d永田邸から帰る途中、あまりの寒さに缶コーヒーを買う 確かに「あったか〜い」を押したはずが冷たい、しかも違うコーヒーが出る 押し間違えたかと思ってもう一度ボタンを慎重に押す すると暖かいコーヒーが2本ある 計3本 さて何故でしょう?冷静に考えれば最初から忘れられた1本があったのだな 今目の前にあるがこれは「ノンダラシヌデ」のようで、さすがに「ホットする瞬間」にはなれない
Copyright@Toshiya Shiga. All Rights Reserved.
Send Mail to Shiga