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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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「自分の実力以上のことは出来ない」当たり前のことだが、僕はよくこの言葉を使う。世の中には一瞬の背伸びをすることも必要かも知れない。自分よりも成功している人や有名人と出合う機会があると「勘違いの背伸び」をする人もいる。相手が金を手にしたり、地位名声を得たプロセスなどを見ようとせずに初対面なのに「今度、飲みに行きましょうよ」とか「携帯番号教えてくださいよ」などと言う。空き缶を積み上げた背伸びは、メッキのようにもろく崩れ去るモノだ。初対面の女性を「どうにかしよう」とする男もロマンチストではない。

「実力」それは他人が評価することもそうであるが、本当の意味でのそれは明らかに「自分を知る」ということだ。そういう人は成功者になっても謙虚である(11/1日記参照)。食事に行った場所で、いかにも金持ち風の人がいたとする。身なりはカチッと高そうなスーツを決めている。隣にいる女性は美人だ。皿の上の高級料理はきれいに無くなっている。ところが突然「姉ちゃん、皿下げてくれ!」この一言で、その人の過去の背景や人生までも判断してしまう。こだわりとは『高かろう旨かろうだ!』と、そこに執着する人種にしか思えない。

確実な足跡を創り上げた人がその後、手にした成功と、金を手にしてからその金で足跡を世間に付けようとする人とは、根本的に人間の本質が違う。「こだわり」で言うと、それを活字にすると陳腐なモノだから、自分の言葉で語ることが出来ることは大切だ。しかしそれは決して「いい時計してるだろう」と自分から話すことではなく「それってもしかして…」と周りに興味を持たれる人に魅力を感じてしまう。

『こだわりとは表現よりも、体現することである』

僕はいつも上っ面よりも身体でぶつかっていきたい。
だからラグビーが好きだ、というのは理由として説得力に欠けるが。


諺・志賀語録「つ」
『椎間板ヘルニアにコルセット』d風邪を引いたときに「何事もなかった時がなんて幸せだったのだろう」と思うことはないか? コルセットを付けることはいつもより不自由だが、それを知る人と知らない人とでは「人の痛み」の理解の仕方が違ってくる、の意(類義語「骨折にギブス」「鼻血に脱脂綿」)
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