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■ 中毒性日記 2001
志賀のひとりごと、日記に綴ってみました。
変態小説家
志賀による、「志賀」を舞台にした空想連載小説。
志賀自賛
志賀の、「志賀」にかけた想いのあれこれ。
年中ムキューっ
志賀、昼の顔。
The Right ? Staff
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月曜、神戸製鋼ラグビーの合宿初日。灘浜にあるグラウンドまで足を運ぶ。こうして現役選手の練習を見に来ることには意味がある。映画を観たり、本を読んだり、ライブを聞きに行ったりすることももちろん重要ではあるが、スポーツの練習を見ることは、試合とは違ってじっと見ることはないのだが、気付かされたり刺激となり力となることも多いことを僕は知っている。

練習の終わった選手は「最近店に行けなくてごめんなさい」と口々に言うが、僕はそんなことを求めるんじゃない。よく書くことだが、スポーツの世界は3打席連続三振でも次の打席でホームランを打てば「一発逆転」の可能性がうようよしている世界である。怪我をして試合に出られなくても、リザーブの選手でも「虎視眈々」と機会をうかがう気持ちが必要だ。そんな風景を同じグラウンドに見ることが出来る。だから行くのだ。

では僕も含めて、その世界に生きていない人達にはその可能性がないのか。それは多少一理あるのだが、全てそうだとは言い切れない。ただ、偶像崇拝となってはいけないだけだ。スポーツの世界にも、社会に生きる人間達にも、類い希なる才能とは別の「培った確かな足跡」が必要だ。それを飛び越えて求めてはいけない。宝くじを買う時に「夢を買う」などと言う『「培った確かな足跡」からの逃避』とも取れる、そんな言葉を使いたくはない。

人間は、植物や生物(ペットも含む)や鉱物(石、盆栽)そして土(陶芸、工芸など)と、年齢に応じて三つの趣味を一生に持つのだそうだ(父曰く)。僕はやっと生物に行き着いたようで(11/30日記参照)、因みに京言葉の「はんなり」は「華あり」の転化(世阿弥『花伝書』より)らしいから『はんなりと、せやけどあんじょう人生、歩きよしや〜』と自分に言い聞かせている。

それが「一発逆転」に繋がる可能性を秘めているかもしれないが、いつも思いっきり地面を踏みしめて歩きたい。「続ける」と言うことはそういうことだ。


諺・志賀語録「せ」
『急いては事を子孫じる』d「親に孫の顔でも見せなあかんな」と結婚を焦ると、義務感のようで違う気がする 
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